コロナ期三度目の夏

エッセイ

              【本格的に、夏!!】

 またまた長いご無沙汰をしてしまいました。うだうだしているうちにもう7月になってしまうではありませんか。「コロナ時代バージョン」も大した内容ではありませんでしたが、ちょっと長くなって読みにくくなってきたと思いますので一度閉じて新たな看板を掲げてそこからまた書き始めようと思ったのです。

 相変わらずまだコロナ時代ではあるのですが、ぼちぼち日本から観光で渡欧するのも不可能ではなくなってきたようです。でもまだ日本に帰国する際の手続きとか手間とかには煩雑さがだいぶ残っておりますし、航空業界は人手不足のせいであっちもこっちも大変混乱しているようですのでまだ無理に出かけようとしないほうがよさそうです。

 それにまた新たに気合を入れて家族を説得しなくてはなりません。本当は一昨年の4月から5月にかけて17日間のスペイン行きを計画していてその了承も取ってあったのにコロナのせいでナシになってしまって、私はまた「基本的にいつも家にいて便利に動いてくれるお母さん」になってしまった感じなんですよねー。そうじゃないんだよ、ってことをなんとか思い出してもらわなくちゃなりません。

                 【岩手山】

 それはさておきカミーノ関係の(むりやりこじつけている感じがしますが)話をしましょう。4月以降、私は昼間のウォーキングをほとんどやらなくなりました。何せ暑くて・・・。そのかわり早朝4:00から5:30までほぼ決まったコースを歩くようになりました。雨が降っていなくて、娘が早朝出勤でない日は毎日です。(娘が5:00に家を出る日には寝坊や忘れ物をしないように見張っている必要があります。 感心なことに寝坊はほとんどしませんが。忘れ物は時々あるので注意が必要です。)自宅から3㎞の上落合というところの交差点まで往復するので6㎞ということになります。

 そこを初めのうちはただ歩いていましたがそのうち「空身ではトレーニングにならない」と気づき荷物を背負うようになりました。重さのある本を数冊入れたデイバックを背負いました。それを始めたのが5月末ごろでしたが6月になると早朝でもかなり蒸し暑くなり、あまり負荷をかけすぎて疲れても生活に支障を来すと考えてまた荷物は外すようになりました。(ちなみにその重さを計ってみたら4・25㎏でした。)

 荷物を持たなくては、と考え始めたきっかけはそのころから一つのプランを持つようになったことです。それは岩手山に登ってみようと思いついたことです。日に日に体力が衰えていく身ですから、今を逃したらもう一生登れないかもしれないと思ったのでした。

 岩手山は岩手県出身の私にとって「ふるさとの山」ということになるのですが、若い頃から「そのうち登ってみたい」とは思ってはいたものの、6歳で親に連れられて岩手県を離れて静岡県に移り住み、そのあとは就職して東京に、結婚して埼玉に住むようになっていた私にとって、それは遠すぎてなかなか登る機会を得にくい山でした。しかし数年前から認知症の母が盛岡の施設で暮らすようになっていました。弟が盛岡の街を愛し、定年退職後に盛岡に終の棲家を定めて住むようになっていたからです。そして今から半年ほど前に母は亡くなったのですがその関係で埼玉と盛岡の間を何度か往復しているうちにふいに以前から何となく気になっていた岩手山のことを思い出したのでした。

 そして今私は来る8月の後半くらいに岩手山を登りに行くことを考えています。そんなに難しい山ではなさそうですがやはり体力を落とさないようにトレーニングはしておくべきでしょう。

                 【あじさい】

 そういうわけで出来るだけ毎日飽きもせずに同じコースを歩いております。しかしたまにちょっと方向を変えて高崎線の宮原駅まで往復することもあります。こちらですと5㎞ほどの距離になります。そして途中に跨線橋があるので坂道を上り下りするトレーニングになります。といっても大した坂ではありませんが。

 道筋のディテールを細かく覚えれば覚えるほど歩くのが楽で楽しくなります。この先にどういう店があって(夜中も照明がついていて店内が良く見えるところもある)どういう交差点や信号があり、どういう民家があり、どういう庭があってどんな花が咲いている・・・と。特に5月から6月にかけては家々の庭に咲くいろいろな種類のあじさいの花が美しく、それらが日を追って順繰りに咲いていくのを、その変化を日々楽しみながら歩いておりました。

【タクシーの洗車屋さん】

 それから私が早朝のウォーキングをしながらの楽しみは実はもう一つありました。私がいつも通る道筋に(正確には車道を挟んで反対側に)タクシーの洗車屋さんがあるのでした。私はそのことを早朝ウォーキングを始めるまで全く知りませんでした。が、それは無理のないことでした。その店はある三階建てのビルの一階にあるのですが、昼間はその店の前を通ったとしても正面のシャッターは下りているし何屋であるかを示す看板のようなものは何一つないのです。だから私は昼間その店の前を通ってもそのビルに注目することは全くなく、ただのしもた屋なのだと思っていたのです。

 ところが朝の4:20ごろ、または帰路で5:10ごろにその前を通ると営業真っ最中の活気ある華やかな(大袈裟かw)光景が見られるわけです。長身のお兄さんたちが6名ほど、それはもう手早く手際よく次々にやってくる仕事終わりのタクシーたちの洗車作業を行っています。特に土日の朝は大繁盛で「待ち」の車が何台も、(今まで見た最高は9台)連なっています。でもまあ平日はそうでもありません。時には私が通過するときに一台のタクシーも見えないこともありまして、そういう時はちょっとガッカリなのですが、もしかしたらそういう時はお兄さんたちにとっては一息入れられる貴重な時間なのかもしれませんね。かなりの重労働だと思いますから。

 ところでナンチャッテ巡礼の累計キロ数が本日で959㎞になりました。1007㎞の「銀の道ナンチャッテ」達成まであと少しです!

                          (6月28日)

                 【銀の道とは】

 私が時々言っている「銀の道の1007㎞」って何のことか? と思っていらっしゃる方もあるかと思いますので説明させていただきます。ネットでググれば出てくるだろうとは思いますが。

 スペイン国内には「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」と呼ばれる聖地に向かうための巡礼路がいくつもあります。(中にはフランスやイタリアやポルトガルからの道と繋がっているものもあります。)「銀の道(La Via de la Plata)」というのはそのうちの一つで、スペイン国内の巡礼路の中では一番長く、かつ最もハードで苛酷な道と言われているものです。

 これはスペイン南部のセビージャ(セビリア)の町を出発し、メリダ、カセレス、サラマンカなどを経由しながら北上しアストルガに至ります。ここで最もメジャーな巡礼路である「フランス人の道(El Camino Frances)」と合流してサンティアゴを目指すのですが、純粋な「銀の道」はアストルガからさらに北上してビスケー湾に出たところにあるヒホンという町までということです。しかし通常「銀の道」を行く巡礼者はアストルガからフランス人の道に入るかまたはサモラというところからサナブレスの道というのに入るかしてサンティアゴまで行くものなので、私はアストルガでフランス人の道と合流してサンティアゴに行くということを想定してその場合の距離の1007㎞というのを目標に掲げたのでした。

 この道がなぜ特別にハードなのかというと、南部の町からスタートするためと、南部には草木のあまり生えていない砂漠的な土地が多いために夏は猛烈に暑く、しかも「フランス人の道」などに比べて宿や商店がはるかに少なくて人家も人の通りも道標なども非常に少ないために迷いやすかったり遭難しやすかったりするためです。

 しかしおこがましくも私はただ1007㎞という距離のカッコよさだけに惹かれて何日かかってもそれを歩く(そこを歩く、ではない)と決めたのです。そしてそれがもうすぐ達成されるのでいい気になっているところですww でもそういうモチベーションがないと毎日できるだけ欠かさずにウォーキング、なんていくら「歩きたい人間」の私でも途中で飽きて止めてしまったかもしれませんものね。さて、完歩祝いには何をやろうかな~

 ちなみに本日までの累計キロ数は973㎞になりました。    (7月1日)

【2022年7月8日】

 安倍元首相の突然の訃報に大変衝撃を受けております。まことに悲しみに堪えません。心よりお悔やみを申し上げます。

           【アンナ・ミラーズが大変なことに・・・】

 私はこの7月7日についに「銀の道」1007㎞のナンチャッテ巡礼を完成させました。そして翌日8日にその打ち上げをしようと贔屓のレストラン、品川駅前の「アンナ・ミラーズ」に出かけました。しかし「打ち上げ」と言いましたがもう一つ行く理由がありました。それはこのアンナ・ミラーズが来る8月31日をもって閉店してしまうという情報が入ったからでした。だからこれまでは行くのに電車も使って一時間以上かかるその店には何か理由づけをしなくてはそうそうは行けなかったのですがこれで立派な理由付けができることになりました。閉店の日までに二回くらいは行かなくちゃ!!そしてちょうど私の「銀の道ナンチャッテ」がもうすぐ終了するのでその打ち上げとしてまず行こう、と考えました。

 7月8日、私は朝9時ごろに家を出て11時過ぎに品川駅に着き、高輪口にある「アンナ・ミラーズ」に向かいました。自分の周囲を歩く人々を見ながら私は心の中で冗談を言っていました。「これ、みんなアンナ・ミラーズに向かう人たちだったりしてねーw」もちろんそれはそうではなかったのですが、ウィングのビルに入ってエスカレーターで二階に上がったとたん、私はさっきのジョークどころではないとんでもないものを見ることになったのでした。

 アンナ・ミラーズの店の前の長~い行列!えっ?えっ?あっちまで続いているの?そしてはるか彼方に見える「最後尾」のプラカード!どっひゃ~ん!!

 行列には並ばない主義であった私は行列というものに慣れておりませんでした。私は人気店に行く時には極力空いていそうな日時を選んで行くので、ここアンナ・ミラーズにおいても5人以上の行列を経験したことがありませんでした。しかしこの時に見たその行列は200人以上もいるように思われました。(後から考えるとちょっと大げさだったとは思いますがそれでも100人以上はいたでしょう。)そしてこれではおそらく何時間後かに入店してやっと食事が終わるころには夜になってしまうではないかと思いました。「2時半までには帰る」と家に行ってきてしまいましたし・・・。それで私はその日はアンナ・ミラーズに入るのを諦めました。

 それでまあ、いろいろ考えたのですが、それらを長々と語るのも何ですので結論だけを申し上げれば私はまた品川駅から京浜東北線に乗って大宮駅まで引き返し、大宮駅の駅ビル内の「アフタヌーンティー」に行ったのでした。私がすぐに思いつくオシャレで落ち着けるところといったらここくらいですから。大宮駅に着いたのが12時過ぎでちょうど一番混む時間帯だったので入店する際に席が空くまで10分くらい待ちましたがさっきの「アンナ・ミラーズ」を見た後ですから全く気になりませんでした。そしてこういうものをいただきました。

 さて「銀の道ナンチャッテ」を終了いたしまして次はどうするつもりなのかと申しますと、「北の道ナンチャッテ」というのを始めたいと思います。沢山ある巡礼ルートのどれにしようかといろいろ悩んだのですが最も景色のよさそうなところを(脳内で)楽しもうと思ってそう決めました。ここは後で地図を描きますがスペインの北海岸沿いを行くルートでイルンという町から始まります。そして実はそれをもう一歩踏み出しております。7月7日に5㎞歩いて「銀の道」を終了した後にちょっと歩いて出かける必要が生じて2㎞ほど歩いてしまったのでそれを「北の道」の始めとつることにいたしました。そういうわけですので次の展開を乞うご期待です。

                          (7月9日)

【灼熱地獄かコロナ地獄か・・・】

 また一か月も間が空いてしまいました。実は先日アンナ・ミラーズのことを書いたすぐ後に一家で体調を崩してしまいまして二週間くらい世捨て人状態でいたのです。で、詳しいことは省略させていただきますが今では皆もう回復して社会復帰をしております。でも昨今の暑さたるや尋常なものではなくもう家では一日24時間クーラーをかけっぱなしですね。クーラーがなくてはもう生きていけないと断言できます。

 で、そんなわけで新しくスタートしました「北の道・ナンチャッテ」も一か月たっているのに累計がまだ70㎞ほどにしかなっておりません。スペインの北の端、フランスの南西の国境近くのイルンという町を出発してセバスチャンを通過し、デーバというところに至ったくらいでしょうか。実はまだ私も地名になじみのないところが多くてピンとこないのですがあとで地図を描きます。(デーバとか小さい町については地図に記入しきれないのでご了承ください。)

 体調はもうすっかり元通りで7月下旬からは普通に生活しているのですが、連日のこの蒸し暑さ、たとえ日中の40度前後の時ではなくて早朝の30度あるかないかの時だとしても決してあなどってはならないという気がしてきているこのごろなのです。歩いている時はそうでもないのですが帰って汗を流してゆっくり休むのにもかかわらずいつまでもごろごろ寝転んでいる時間が長いとか、あるいは休んでいる最中にめまいを起こしたことも一度ですがありまして、「それは熱中症だ!」と夫はいうのですが、そうかなあ?といぶかりながらも確かにもうこの年齢になると足の筋肉以前に心臓とか、体の芯のところで予想外に疲れているということだろうなと考えていました。それで歩く長さを6㎞ではなく3㎞とか4㎞にしてみたり、日中に外出する予定のある日には早朝のウォーキングそのものを休みにするとかするようにしました。

 私たちは4~5年前まで夫の両親と同居しておりました。2017年に義父が、2018年に義母が亡くなったのですが、晩年の数年間は寝たきりだった義母は心臓が悪く、若い頃からずっと箱入り娘さん、あまり外出しない奥さんという生活をしてきた人で、あっちこっち好き勝手に飛び回りたい私の方が義母よりもずっと体が丈夫なのだと思っていたのですが、最近気が付くと私は私と同じ年齢の頃の義母と同じような感じになっているな、と愕然とするのです。階段の上り下りはエッチラオッチラだし、2㎞余り先のデパートに自転車で出かけてくるともうその日のメインの仕事を終えたみたいな感じになってしまうし。これは最近の暑さと湿度の高さのせいなのかもしれませんが、5年10年違うと体もそれなりにはっきりと老化してくるんだなと実感せざるをえません。

 こんな感じのこのごろですので先日書いていた岩手山に行く計画ですが、8月の18~19日くらいに行きたいと思っていたのですが(これは単に私の誕生日前にやってしまいたかった、というこだわりがあって)、二週間くらい後にずらそうかなと考えているところです。少しくらいは涼しくなってからのほうがいいに決まっているし。でももっと後、はっきり秋になってからというのは何か他の予定が入りそうなのでその前にやってしまう方がいいかなと思っているからなのです。

 それからひと月前に行きそびれたアンナ・ミラーズですが、実は27日に再度挑戦して無事入店を果たしました。あと今月下旬くらいにもう一度行くつもりなので次回その時のことと一緒にご報告させていただきたいと思います。少しお待ちください。(8月6日)

             【この夏は療養ばかり】 

8月14日の夜のこと、私の右ひざに異変が起こりました。前の晩に寝不足だったので(私は時々不眠の症状が出ます)夜8時ごろドリエルを服用して、9時ごろ眠気が来たので就寝していると夫と娘が風呂の湯の出し方がどうとかで言い争いをしているのが聞こえ、うるさいなあ、でもドリエルを飲んだから眠れるんだ!!と信じ込むことにして、何となく足をゆるゆるストレッチのように動かしていましたがやっぱり眠気が飛んでしまい、ココアでも飲もうと思って立ち上がろうとするとアレッ?!右ひざに激痛が・・・。どんな感じかというと、ごく小さいぎっくり腰が膝にきたような感じです。その晩はせっかくドリエルをのんでいたのに眠れたんだか眠れなかったんだかわからない感じで朝を迎えてしまいました。痛くて眠れなかったというわけではなくて、あ~、またやっちまった~という思いにとらわれてしまったせいです。

 あれー、これは長引くかなあ。転んだとかひねったとか原因のはっきりしている痛みなら皮膚とか筋肉とか筋とかが回復すれば治るのでまだいいのですが、こういうなぜおこったのかわからない痛みというのは二、三度過去に経験したところによれば、痛みが出なくなるまでに三か月くらいかかるもののようです。整形外科に行ってみてもレントゲンに何か写ったりあるいは腫れているとかのはっきりと目に見える異常がないので、お医者さんはこちらの繰り言をちゃんと聞いてはくれるのですが結局湿布薬とか塗薬とか痛み止めの内服薬を出してくれるとかの対処療法をしてくれるだけですので、それなら自分でもできるので受診はしないことにしました。理学療法としてできるだけ電気をあてにくるように、といわれるのですが、それはやってもらうと気持ちいいことはいいのですが、気休めみたいな感じでそれで特に回復が早まった感じもしなかったのでやらなくていいと思いました。

 これでまた朝のウォーキングは中断だな。岩手山も延期だな。海外旅行はどうせまだまだだし(MySOSとか帰国時の陰性証明とかが面倒くさい)、その前に私や娘のワクチン接種(4回目と3回目。娘はいつも副反応がきついのでためらっていた)とかの予定があるし、娘の股関節の治療の予定もあるしで、この膝の療養をしながら片付けなくてはならないことがいろいろあるからまあいいか・・・と、こんな感じでおります。

 もうはっきり言ってしまいますと7月中旬、私たち一家は三人ともコロナにかかってしまい十日間療養生活を送りました。6月末に起こった娘の股関節の異変、それによるアルバイトの退職、1~2週間娘の介助をする生活、のところから始まって7,8月いっぱいうちはみな療養と介護に満ち満ちた生活でした。でも負けません!!ウィズコロナ、ウィズニーエイク!もし本当に歩くのが不自由になってしまったら岩手山は盛岡駅からタクシーで登山口まで行って帰ってくるだけにしたっていいし、スペイン(あるいは代替で他の国にするかも)に行くのも直行便のビジネスクラスに乗れて、向こうでただホテルに三泊くらいして、その付近を散歩してくるだけでもいいです。私の旅って一人を味わうのが最大の目的ですから~wwできる範囲でやりたいことをやるまでです。

 8月25日の夜、足に湿布を続けているとネットのせいもあってかゆくなったりするなあ、と思って湿布をしないで寝てみました。痛くなったらバファリンを飲めばいいや、と。そうしたら朝まで何とか大丈夫でした。はっちゃけていた神経回路が正常に戻ってきたような気がしています。でも自転車で買い物に出たら今までは痛くなかったのに(今まで歩くより自転車の方が楽だった)ペダルをこいでいる時に膝が痛かったです。初めに思っていたより回復が早いかもしれませんが油断をせずに大事にしていこうと思います。

 それからアンナ・ミラーズに行ったことについてですが、文章がかなり長くなってしまったので番外編として別の記事にさせていただきます。(8月26日)

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