
【旅行以前】
2022年12月5日(月)~9日(金)で私はフィンランドに行ってきた。三年半ぶりの海外であった。
これまで私は決して他の国々に対する興味がないということではないのだが、ついブータンとスペインにばかり足がずぶずぶとはまって抜けないでいたのになぜ突然フィンランドに向かうことになったのかをまず説明しなくてはならない。なぜいつもいつもお前は個人的な家庭の事情をくどくどと語るのかと呆れられることだろうが、それは私がフィンランドに向かうこととなったいきさつとしてどうしても必要なのである。何卒ご容赦いただきたい。
(2020~2021年)
この世にコロナというものが突然降ってわいたかに思われる2020年の春、私は又もやスペインを歩く旅を計画していた。そのために半ば強引に17日間という日程を家族から奪い取るようにゲットしていた。そして私は何が何でもイベリア航空の成田ーマドリード直行便のビジネスクラスに乗りたかった。昼間の便ならともかく夜行のエコノミーは体調がおかしくなるので絶対嫌だった。乗り継ぎがあるのも時間のロスなので嫌だった。それで2019年の春、ブータン5回目の旅から帰ってからすぐに地元の老人ホームでのパート勤務を始め、旅行資金も着々と貯まりつつあった。しかしその計画は頓挫することになった。
せっかく10か月も前から予約してあったフライトチケットやホテル代は旅行キャンセルを決めた数か月後に全額払い戻されてとりあえず安堵したが、しかしやはり旅をしたい要求が止むことはなかった。
私の老人ホームでの勤務は二年半続いた。コロナによる出入国制限はいつまでも続き、それに伴い貯金は着々と貯まっていったがそれを楽しく消費できる日はなかなか還ってこなかった。それでも年を追い月を追い、わずかずつ日本国の出入国制限は緩やかになりつつあった。とはいえPCR検査だの強制隔離だの自主隔離だの防疫タクシーだのと様々な負荷が義務付けられすぎていて、ただ数日のお暇を家族からいただくのさえ難しい私にとってはとてもまだ実際に旅行ができる状況ではなかった。2020年には17日間を一度は了承してもらっていたとはいえ、中止になった時点でそれはゼロになりまた状況が変わって旅行に行けるようになったとしても日程をゲットする努力はまた一からやらなくてはならないのである。
しかし2021年いっぱいで私はパート勤務を辞めることにした。まず体力的にきつくなってきたのが理由の一つ。お金は一応必要なだけたまったので、今後はむしろ乏しい体力の浪費は控えて旅をするために温存しておいたほうがいい。それから広い意味での旅行準備がいる。家族の生活や健康状態の管理や見守りをし、私の旅行の障害になりそうな要素をできるだけ排除していかなくてはならない。
(2022年1月~8月)
私の旅行の障壁になりそうな要素として夫には腰痛がある。彼はかなりまめな性格なので私がちょっと長時間の外出をしたりすると張り切って大掃除などをしてそれで腰痛を引き起こしたりする。娘は扁桃腺が大きいとかで様々なウィルスをキャッチしやすいらしく、よく熱を出す。そうすると下がるまでに最低3~4日を要する。その上彼女は生まれつき股関節が悪く、10年ほど前に左右両方の手術をしているが、最近そこが消耗してきたらしく時々不具合な様子が現れるようになってきている。いずれまた今度は人工関節を入れる手術をしなくてはならなくなりそうなのだが、そうすると次の私の旅行は娘の手術のための入院の期間を利用することにするのがよさそうである。
娘の入院中に母親が海外旅行とは何事かと言われそうだが我が家の場合やむをえないのだ。娘はもうアラサーなのだが病気がちな上に考えの浅いところが多くていろいろと親に心配をかける。それに加えて夫が大変な心配性なので私が留守にして自分一人で娘の監督をしなくてはならなくなることが堪えがたいらしい。自分一人が生活するだけなら何ら問題はないが娘と二人だけにはなりたくないという。そうするとどうしても私が家を空けることが出来るのは娘の入院中以外にはないということになるではないか。
私は過去に何度も一人で海外に行っているが、なぜそれが可能だったかというと2018年までは家にもっと人がいたからである。要介護とはいえ夫の両親がいて、その世話をしに義姉が来てくれたりしていたし大学や勤めに出ていたとはいえ息子もいて夫は寂しくなかったのだ。2019年にはもう義父母は亡くなっていて義姉も来なくなったが結婚して家を出たとはいえ息子たちにはまだ子供もいなくて何かあればすぐ来てくれやすそうな雰囲気だった。それからそのころはまだ娘は股関節の問題が出ていなくて元気にアルバイトに通っていた。そして夫は今より三歳ほど若かった・・・これだけで大部今より条件が良かったのである。
それで私はパートを辞めてから、渡航条件の緩和が進むことと娘の手術をしてもらえる日が訪れるのを待ちわびることとなった。語学の勉強などももっとしっかりやりたいものなのだがついYouTubeで日々変化する渡航条件や人々の体験談が披露されるのに首ったけになっていた。もちろん折角パートを辞めて体が空いたのだからウォーキングなどのトレーニング活動には励んでいた。
しかし7月半ば、我が家は三人ともコロナにかかってしまって療養生活を余儀なくされた。そしてそれがなかったとしても7
月になると早朝からかなり蒸し暑かったので熱中症を警戒してウォーキングはかなり控えめにしていた。8月に入っても同様である。だからこの時期には足に負担をかけるようなことは何もしていなかったはずなのだが、それは突然やってきた。
8月14日のことである。夜、床についてちょっとしてから急に私の右ひざが痛み出した。ぎっくり腰のちょっと軽めのものが膝にきたみたいな感じで、私は立ち居がかなり困難になった。が、全く動けないわけではないのでそろりそろりと最小限に動きながらなるべく安静に生活した。実は丁度三年前の8月にも似たようなことがあって、その時は1~2か月のうちにだんだん回復していき、そのうちウォーキングさえできるようになってきていたわけなので今度のもそういうのだろうと思っていた。しかし痛み止めにロキソニンなどを処方してもらっておいたほうがいいと考えて私は整形外科に出向いた。
私は過去に「骨粗鬆症の恐れがある」と言われて定期的に整形外科に通っていたのだが、そこで私は今回の膝の痛みが三年前の物よりも深刻であることを知った。三年前には痛みの原因となるものがレントゲン写真に現れていなかったので「筋肉痛じゃないのか」などと言われていたのだが、今回は膝の軟骨がとても消耗していることが映像にはっきり表れていた。これでもう私は自分がスポーツとしてのウォーキングなどをやってはいけないのだと悟った。今後はできるだけ両膝(まだ症状は出ていないが左膝の方も消耗している)に負荷をかけないように生活して、歩けなくなる日が出来るだけ遅く来るように頑張らなくてはならない。
(2022年9~11月)
以上が私がスペイン行きを諦めた理由である。私にとってはスペインに行ったら歩かなくては意味はないのだ。たとえ一週間しか時間がとれないとしてもその間どこをどうやって充実して歩けるかというのが重要なのであった。しかし私は海外旅行そのものを諦めたくはなかった。では代わりにどこに行くか?今の家庭の状況を考えると日程的には一週間くらい「お暇をいただく」のが限度だという気がしたが、その他にも条件があった。
◎直行便で行くこと:乗り換えがあると時間のロスだしいろいろなトラブルの可能性も増す。
◎ビジネス席で行くこと:昼間の便ならともかく夜行のエコノミーは私はもうまっぴらである。もうこの年齢だしお金も貯めたしビジネスに乗ったってバチは当たるまい。
◎急な旅行解禁によるトラブルの起こらなそうな空港やエアラインを利用すること:パリやフランクフルト、アムステルダム,アメリカ各地や中東各地についてはいろいろな悪いうわさが聞こえてきているのだ。
◎空港から近いところで短時間に観光ができそうなところ。
◎治安のよい国であること。
あと、そこまで重要な条件ではないがなじみのあるユーロかドルが使え、英語かフランス語かドイツ語かスペイン語が通じること。韓国語でもいいが、韓国は今、別に行きたいとは思っていないし行きたくなったら2~3日あれば行けそうな気がするので除外。
そういうわけで、以上の条件をクリアしたのがフィンランドのヘルシンキだったというわけである。フィンランドは英語が良く通じ、治安もよく、ロシアの問題さえなければ日本から距離も近く、国民のメンタルも日本人にかなり近いということである。それに空港から市街地までも近く交通は便利で、首都ヘルシンキはこじんまりとした街で見どころが狭い範囲に固まっていて、これなら駅近くにホテルをとって二泊もすれば自分が動ける範囲で楽しめると思ったのである。
娘の股関節の手術の日が11月30日と決定するや否や(この時点で9月下旬である)私はJTBに駆けつけてフィンランド行きの手配をしてもらった。出発のその日まで何事も起こらないとは言い切れないが、それでもまずスケジュールをはっきりさせないことには始まらない。
手術日が11月30日ということは11月28日ごろの入院だ。退院は一応の目安としては手術から17日後ということらしい。勿論回復の状況は人によって違うので確定ではないが一応の入院期間の予定は20日間くらいということだ。それより何日も早く出てくるということは考えにくいので、私は自分の旅行の日程を娘の入院期間の真ん中あたりに持ってくるのが適切だろうと考えて、それからいろんなフライト状況も考え併せて結果12月5日(月)~9日(金)と決めた。初めはもう一日多く旅をするつもりであったが旅行解禁後で料金が高騰しているし、それはわかっていたがさらに日によって料金がかなり違うということもわかっていろいろ考えた挙句一日日程を減らすことに決めた。ヘルシンキのホテルで二泊、その前後に機内でそれぞれ一泊ずつという予定になった。でもこの季節にヘルシンキの街を一人で見て回るには丁度いい長さであると思われた。
私は結構ミニマリストなところがあるので旅の仕度といっても荷造りはすぐに済むのでぎりぎりから始めても大丈夫である。しかしそれに対して二か月も前から真剣に準備しなくてはならないのは娘の健康管理である。コロナその他のウィルスに取りつかれないようにすることの他に、彼女にはダイエットという重要なミッションが課せられていた。人工関節を入れる手術の負担を少なくするためである。
娘はこのダイエットに実に真面目に取り組んだ。病院での栄養指導も受け献立を作ったり料理をしたりしたのは私だが、それまで食べていたのの半分程度のボリュームになった食事に対して彼女は一切不平を言わなかったしお菓子もほとんど食べなくなった。しかしそれでも体重は二か月で3㎏落とすのがやっとだった。同じ体重が三週間も続くと「なんでこんなに頑張っているのに減らないの?!」と私もうんざりするのだったがそれでも娘の努力は病院側に認められたようで「もっと体重を落とさないと手術はできない」とは言われなかった。
それから旅行の準備として私は語学の勉強よりもYouTubeで旅行事情の移り変わりを調べ漁ることに熱心になってしまった。幸いもうコロナワクチンを三回以上接種していれば海外旅行はOKということでPCR検査や隔離の義務はなくなっている。しかし最近厚生労働省デジタル庁によって推奨されているVJW(ヴィジットジャパンウェブ・「ヴィジャブ」とも言われる)の登録が難しそうで、ちゃんとできるだろうか?というのが頭痛の種であった。ちなみにこれは義務ではない。VJWを登録していなかったからといって帰国時に日本入国を拒否されるわけではないのだが、これは日本独自のことなので海外の空港の地上職員の方々に完全に理解されているわけではなくて「日本に入国する人の義務である」と勘違いしているスタッフの方々が少なくなく、日本帰国のために搭乗する時海外の空港で「搭乗させられません」と言われて揉める事例が少なくないという情報が上がっていたので出来ることならばちゃんと登録をすませて安心して出発したかった。
何度も映像を見ながら説明を聞くとわからなくもない気がするが、操作の途中で行き詰ったらどうすでばいいのだ?と考えるとやはり一人でチャレンジする気にはならず、結局JTBのスタッフの中にわかる方がいらっしゃったので一時間もその方の手を煩わせての手ほどきをして頂くことになった。そしてその際パスポートとワクチン接種証明書の写真の撮影とアップがいくらやってもうまくいかずに先に進めなくなったので家に帰ってから夫のその写真をパソコンでスキャンして綺麗に作ってもらってからアップするという方法で無事にクリアすることが出来た。
ほかにも細かいごたごたがあったが、特に大変だった事柄は以上なので、あとは省略する。
【いざフィンランド!】
(12月5日)
娘の入院も叶い、手術も無事に済み、順調に回復していく様子を見て私は安心して羽田に向かう時を迎えた。家を出発するのが夕方早い時間だったので私は外で一人の夕食を楽しめることになったが私はその晩餐の場所にそごう9階のレストラン街にあるすし屋を選んだ。そこで私はちらしずしを頼んだ。そごうのポイントがその代金とほぼ同じくらいに貯まっていたので全部使い切ってから行くことにしたのである。これで後顧の憂いなく日本を離れることができるではないか(笑)

19:30ごろ羽田に着く。チェックインカウンターに行き搭乗券をもらう。荷物は全部機内持ち込み(リュックと貴重品のバッグと杖だけ)である。そして一万円だけユーロに替える。65€とあと日本円の小銭少々になる。北欧ではほぼどこでもカード決済で、現金を使うことはほとんどないと聞いたからである。
持参のお茶を飲み終わってから搭乗手続きをする。そのあと、ビジネスクラスなのでさくらラウンジが利用できると案内されてそこに向かったのだが、何やら受付でいろいろチェックされて10分くらい足止めされる。何だ?私はカウンターで案内されたから来たのであって、私が勝手に来たんじゃないぞ、と思ったが・・・。でもやがて無事通過。そこでジュースを飲みながら一時間弱を過ごしやがて搭乗口へ。
搭乗口付近で待っていたら「杖をお持ちのお持ちのお客様」というわけで「一番にご案内いたします」と特別扱いで誘導される。ちょっと恥ずかしかった。それほどの者でもありませんのに~
初のビジネス席体験である!なるほど~これは落ち着きますね。確かにエコノミー席の三倍くらいのスペースは取っているのでそれなりの価格になるのはやむを得ない。

ウェルカムドリンクのブルーベリージュースをいただいた。フィンエアーの名物であるようだ。座席をフルフラットにしたりテーブルの出し入れをしたりの操作方法がよく分からなくで行きは皆CAさんにやっていただいた。(しかし帰路は全部自分でやった。)

トイレはエコノミークラスの時よりははるかに行きやすかった。何しろ隣の席の人を煩わせる必要がないのだから。一つのトイレに対する乗客数もはるかに少なかった。しかしそれでも何度もトイレに立つのは気が引けた。「あいつ、また行くのか」と思われるような気がした。でもそれはどうしようもない。家でも一人暮らしでもない限り「また行くのか」と人に思われそうな状況というのはある。
食事の出方は航空会社によって少し違うかもしれない。フィンエアーでは離陸後少したって、と着陸の一時間ちょっと前、という感じだった。今回は行きが羽田を21:55発でヘルシンキ4:25の予定だった。でも実際には3:00前にヘルシンキに着いた。気流の関係らしい。北極点の上を通ったそうでその証明書というものが配られた。だから食事は遅い夕食(夜食)と早い朝食という感じだったがフライト時間はそれでも11時間半あったのでそれなりにお腹を空かすことができ、そんなに「変な時間の食事」という感じにはならなかった。食事の内容はやはりエコノミーよりは少しゴージャスだったし、何より食器が違った。エコノミーでは携帯食的な容器で配られるがビジネスでは普通の食事らしい食器で配食される。勿論陶磁器とかではなく割れなくて軽いセラミックなのだろうが。ブルーベリージュースもガラスのグラスで提供された。


ビジネスクラスの機内食もエコノミーのと量的にはそんなに違いはないように見えた。どちらにしろ私には完食するのが難しい量である。私はもうこのごろでは外での食事が多かったら気にせずに残すことにしているが、パンやチーズ、バターやジャムはやはりこっそり持ち出すことをやめられなかった。しかしパンについて言えば、アジアや南欧のエアラインでは日本のパンと同じようなものが出るが北欧のエアラインではライムギやシードなどの入った黒っぽい堅いパンが提供される。私はそういうパンを嫌いではなく、むしろ憧れているくらいであったがそういうものを持ち出してあとで食べようとするとさらに固くなっていて苦労する羽目になることがわかったので程々にしたほうがよいと思った。
(12月6日)
さてヘルシンキのヴァンター空港に到着した。パスポートコントロールの窓口では仏頂面の若い女性係員が簡単な質問を2,3してきた。「旅の目的は?」「え・・と、観光です。」「どこに行くの?」「ヘルシンキだけ。」「そして?」この意味が一瞬わからなかったが5秒考えて「日本に帰ります。」と答えてみた。そしたら「あ、そう。」という感じで通過できた。他に面倒なことはなく、トイレなどをすませた私は市内に行く電車が動き出すまで空港の出入り口付近で待つことにした。座る場所はそれなりにあって、私と同じように時間を潰しているらしい人が大勢いた。席を三つくらい使って寝ている人もいた。

さてそろそろ電車が動くであろう5:00過ぎ、近郊線のホームに行ってみる。ガイドブックでさんざん予習をしてしっかりと記憶にある自動券売機があったのでドキドキしながら操作してみた。しかしうまくいかないので近くにいる人を捕まえて「どうやるんでしょう?」と聞いてみた。しかし二人連れの彼らは「自分たちもわからない」と言ってきた。じゃああなた方はどうやって乗るのかなあ?と思ったが、あらかじめどこかでチケットをかってあるということもあるだろうから「そうですか。ありがとう。」と見送った。しかしまたトライしてみても駄目だったのでまた別の人に尋ねた。するとその方はまずここ、次はここ、と上手に私に指示してくれて、私は無事にヘルシンキ中央駅までの一回券を買うことができた。国外で初めてのクレジット決済も果たした。
思うに海外の自動販売機などに接して戸惑いがちになるのは言語がわかりにくいとか言うことだけではなくて操作の間合いというものがわからないからだ。操作自体は間違っていなくてもそれに対して機械がどのように反応するかとか、どうなったら次の動作に移ってよいかとか何秒か待たなくてはいけないとか、そういうことが体感的にわからないからだ。本や映像で見たり耳から聞いたりしただけではよくわからず実演指導をしてもらえればわかるということは考えてみれば限りなくあるものだ。パソコンやスマホの操作もそうだし料理だってそうだし大概の作業は百聞すれど一見には及ばずだ。
さて無事に電車に乗る。車内では電光表示の停車駅案内とにらめっこである。文字は読めても意味を100%理解するためには少し考えないといけない。次の駅の名と最終目的地が交互に表示されるからである。日本のバスや電車でも同じなのだが外国で、それも初めての場所ではかなり緊張する。
それでも問題なくヘルシンキ中央駅に到着する。19番線に着いたのだが16~19番線の乗り場が駅の本館とは少し離れたところにあって、降りてから数十メートル外を歩き、裏口のようなドアから駅本館に入った。いささか寒かった。
裏口から入って殺風景な通路を100mくらい歩くと駅のコンコースや待合室などのある部分に着いた。いろんなお店もあるが、まだ時間が早いので(7:00ごろ)空いている店は限られていた。いかにも北国らしい雰囲気のちょっと古風な感じのする駅だった。行ったことがあるわけではないが、数十年前の青森駅とか札幌駅、あるいは北海道の大きめの街の駅はこんな感じだったのではないだろうか。
そこで私は明るくなるまでしばらく時間を潰すことにする。一人でいても危なそうなことは全くないが、ちょっと変な感じの人はたまにいた。寒いので皆それなりの服装をしているのでそういう点での判別はできないが、近寄らないでおこうと思う人はいた。
一人の若者がなんだかボーッとベンチに掛けていてた。彼に目をとめた頑強そうな警察官風の男性が二人やってきて、何か彼に少し話しかけた後に、ちょっと来なさいという感じで連行していった。ヤクをやっているようにでも見られたのか?
それから何だかでっぷり太ったおばさんがベンチに座っていて時々場所を変えていた。たまに他の人に話しかけていた。私は言葉が通じないと思われたからか話しかけられたりはしなかった。私と同じように時間を潰しているだけのようにも見えたが、私が8:00近くなってから少し外を歩きに行って10;00ごろにまた戻ってきた時にまだ同じところでウロウロしていた。それでもしかしたら浮浪者かもしれないと思って、もうここに座っているのはやめようと思った。
それからトイレに行った。それは16~19番線に続く通路の途中の地下にあった。実はそれ以前、早朝にも二回私はそのトイレに行っていた。しかし誰も人がいなかったので無料だと思って使用した。ところがその時(レシートを見ると10:27である)に行くと、何だかカウンターのようなところに女性が座っていて「そちらの壁に取り付けてある機械で1€支払うように。現金はダメ。カードで。」と言う。えっ、そうだったの?と私は戸惑いながらも無事に支払いを済ませたのだが、やはり日本人としては「有料だったのかよ?!」と納得できない部分もあり、もうこのトイレは使うまいと考えた。欧米では公衆トイレは有料なのが一般的であることは勿論知っていたがそれでも納得できないのは仕方がない。人間の生体維持に必要不可欠である水とトイレくらい文明国ならもっと気軽に利用できるようにしてくれよという気持ちだ。国民に食べさせるだけで精一杯の国なら別だが。
それで私はあまり長時間街をうろつかない方がいいと考えなるべく早くホテルに向かうことにした。でも午前10時台では流石にチェックインには早すぎる。そしておなかもすいてきた。機内での朝食は午前2時ごろだったわけだしこっそり持ち出した黒パン類は時間がたって食べにくくなっていた。さっき外に出かける前に待合室のそばのキヨスクでホットコーヒーを買ってみたが(現金OKだったので現金で支払ったがレシートを貰うのを忘れたので正確に何時何分のことだったかはわからない)荷物を抱えてベンチに座りながらでは動作的に食べるのが難しかったのでちゃんとした場所で食べたかった。それで私は近くにあった”バーガーキング”に入った。駅構内の飲食店は他にもあったのだが皆込み合っていたりテーブルや席のスペースが少なすぎたりして入る気になれなかった。
しかしバーガーキングの店はやけに広いスペースを占有していて、しかもその時客はまばらにしか入っていなかった。値段的にも通常のレストランほど高くはないだろうと考えて私は入って見た。やや濃い顔ではあるが多分アジア系のスタッフの方々が働いていた。一番小さそうなバーガーとコーヒーを頼んで税込みで4.7€だった。ここでもカードで支払った。
食べ終わった後トレイやごみなどをどこに片づけるのかわからなくてウロウロしていたら、かなり後ろの方から「あっちあっち」というような声がした。黒人の女性が一人食事をしていてその方が教えてくれたのだった。
初めはヘルシンキ市内を頑張ってトラム(路面電車)で移動してみようと思っていたのだったがトラムの券売機がどこにあるのか探せなかった。(もっと真剣に探せば見つかったかもしれないが)初めの予定通りに空港駅で市内三日間乗り放題のチケットを買えていればよかったのだがそこでちょっとしくじってしまった(教えてくれた人に「中央駅に行きたい」としか言わなかった)ので。それに街を走り回っているトラムの車体がとても大きいので私は何だか怖気づいてしまい「どこに行くにしてもそう遠くないんだし乗らなくてもいいや、歩けば。」と思ってしまった。日本人が小柄なせいか日本の電車は概ね車体が皆小さい。日本の路面電車など欧米人の目にはオモチャのように感じられるだろう。
私の目から見ると観光バスくらいの大きさの車両が三つくらい繋がったものがかなりの頻度でガラガラと街を走り回っているのでスピードもそれなりに出ているように見えて怖いが、けっこう歩行者がそこらへんをうろついているので電車側はよく見ていてくれて、道を渡り切れない歩行者がいると待っていてくれたりするるので実際には危ないことはないようである。
空港からずっと電車の窓からの景色を眺めながら来たのだが、車窓から見える地面も後になって出歩いてみた市街も、道はどこもうっすらと1~3㎝に雪が積もっていて時折断続的に粉雪が舞う。ぬかるむでもなく凍り付いて滑るでもなく、私は安い軽いスノーブーツを履いて杖をついて歩いていたが歩きにくいことは全くなかった。寒さもそれなりに服を着て毛糸の手袋でもしていれば大丈夫で、凍えそうな感じではなかった。尤もたまたま12月初旬のヘルシンキはそうだったというだけで、時期がもう少し遅かったり場所がもっと北の方だったりすれば様子が違ったのかもしれないが。
外が少し明るくなるのは9:30ごろなのだがそれまで何もすることがなかった私は少し外を歩きに行ってみた。店はまだ開いてはいないだろうと思ったが地図と実際の道を照らし合わせていろいろな場所の確認をしてみようと思ったのだ。街灯やイルミネーションはふんだんにあるが、まだ薄暗いせいか雪があるせいかなかなか地図で示される位置と実際の場所との照合ができないこともあった。方角がわからなくなって少し迷ったりもした。
8:00から開いているという国立図書館に行き当たったが8:00を過ぎているのにまだ開いていないようだったので諦めて戻ったりした。そしてまた駅に戻ることにしたのはトイレに行きたくなったからであった。大きな商業ビルなどは、まだその中の店舗は閉まっていても中を通り抜けられるようになっていたりするが、でもその中にトイレがあるのかないのかわからなかった。そして駅に戻ったらトイレが有料だとわかって愕然として、そのあとバーガーキングで食事をしたのち11:00過ぎくらいにタクシーに乗ることにしたというわけであった。
予約してあるホテルもそう遠くはないはずなのだが道がわからない。外国の街はやはり日本のような、看板がふんだんにあり建物のデザインが種々雑多である日本に比べると、目印を定めにくくて場所を把握しにくい。どの建物もみな同じように見えてしまう。タクシーは高いかもしれないが、いつまでも道に迷っているわけにはいかないので止むをえない。
タクシーの運転手さんは黒人の方だった。ホテルの住所を書いたものを見せるとすぐにわかったようだった。しかし初乗り料金から始まって、走り出すとメーターが2秒ごとに0.1€ずつ上がるのでドキドキした。結局距離は1・23㎞で6分乗っただけなのに25€もかかった。これもカードで支払ったがが番号入力は不要だった。えっ、なぜ?と思った。便利でいいといえばそうかもしれないがカードを落としたら拾った人がすぐに使えるということじゃないか。危ないじゃないか!
11:30ごろホテル前に着いたがまだ早すぎるなと思ったので近所を少し歩いて地図とてらしあわせながら探索した。自分が行こうと思っていたお店の位置がようやぅわかり、安心してホテルにチェックインした。日本人に人気、とガイドブックにかいてあった「ホテルA」はやや古風な雰囲気のこじんまりとした落ち着いた感じのホテルだった。
まだ12:00ごろだったがチェックインOKだった。私は部屋で荷解きをし、ベッドで少し休んだ。そして14:00ごろ、夕食になるものを買いにいくために外に出た。レストランなどに行くと大概食べきれなくて苦労するのでできるだけテイクアウトですませることにしたのである。
私は道を確認するためもあって駅方向に向かってホテル前の大きな通り沿いを歩いて行った。そして駅にかなり近づいたところでテイクアウトもできるカフェを見つけ、そこで丸いキッシュと黒パンスライスの上に小エビが沢山載ったオープンサンドを一つずつ買った。綺麗に箱に入れてくれた。そこでもカードで支払ったがまたもや番号入力不要だった。いいのかな?とまた不安になった。
その日の買い物はそれだけにして私はホテルに戻り、シャワーを浴びたりして休んだ。テレビはあったが何故か点かなかったのでまあいいやと思ってそのままにした。そして気が向くままにガイドブックを読んだりしながらベッドの上でゴロゴロしていた。そういう時、私は昼でも夜でも何だか断続的にトロトロと眠ったり目覚めたりを繰り返している。いいご身分?みたいだが、私の旅は食べたり買い物をしたりがメインではないので歩いたり乗り物に乗ったりするのでなければホテルで一人でぼんやりしているのが目的の一つみたいなものだから。「これでいいのだ!」と思う。でもわざわざ自己確認をするというのが貧乏性で人目を気にする性格の証かな。
18:00ごろ「さて夕食にしよう」とさっき買ってきた箱を開けてみて驚いた。「デカい!」キッシュとオープンサンドが日本で売っているものの倍くらいの大きさなのである。北欧だから物価が高くても仕方がないと思っていたのだが、この大きさで具の量も半端ないとなれば日本円にして2000円近い値段でも文句は言えない。日本のデパートでもキッシュを4ピース買ったらこのくらいの値段になる。

さてどうしよう、食べきれないな。無理して頑張りすぎて体調を崩したくはないし、明朝はホテルの朝食を楽しみにしているし昼はガイドブックに載っていた有名な日本食のレストランに行こうと思っているのだから。そして結局どうしたのかというと、私はその日はキッシュの方を半分とエビの方を半分ちょっと食べた。キッシュの方が日持ちすると思ったのである。翌日の夕食はどうしたのかは後で説明するが、そのキッシュとオープンサンドのセットは翌々日の早朝までに無事に消費することができた。
(12月7日)
8:00過ぎに朝食に行く。ヨーロッパの朝食のパターンを私は勝手に北方系と南方系と分けて認識している。(イギリスはイングリッシュ・ブレックファーストというだけにもっと豪華だろう。東欧諸国のことは知らないのでここでは言及しない)フランス、スペインなどの南方系の朝食は高級ホテルのゴージャスなビュッフェなどを除けばパンはクロワッサンかフランスパン系か甘い菓子パンであとコーヒーやジュースなどのドリンク。フルーツやドライフルーツがつくことはあるが野菜類はほとんどつかないしハムやチーズさえ必須ではない。だからどうも塩気が足りなくて物足りないと思う。ドイツ以北から北欧にかけては黒っぽい堅めのパンとコーヒーなどのドリンク、そして大概ハムやチーズ、トマトやピクルスなどの野菜が付くことも少なくないという感じである。だからそこの朝食は北方系で、質も量も私には適切で満足のできるものであった。

10:00過ぎ、駅までの道が大概わかった私はお土産用の買い物でもしようと外に出た。昨日と同じく雪の薄く積もった道を杖をお供に簡単なスノーブーツで歩いているのだが全く危なくない。家の近所で雪が積もった時の方が凍っている部分が見えにくかったりして遥かに怖い感じである。道筋には路上駐車の車も多くてその多くは何日も放置してあるらしく屋根にこんもり雪を載せていたりする。走っている車はそう多くはないがスピードを出さないし歩行者にはとても注意をしてくれていて10mも手前から止まって待っていてくれたりするので普通の注意を払っていれば危なくない。
保育園児の散歩(日本ではよくワゴンに乗せられている子供たちが可愛いと 話題になる)にも3グループくらいに行き会った。付き添いの大人一人が先頭で、後ろに5人の二歳児くらいの子供たちが続く。スキー場で着るような頭から足先までつなぎになっている服を着せられて、5人が握れるように枝分かれしたロープの先を握ってちゃんと歩いて付いていく。体の大きさから見て三歳以上ではないと思う。よく訓練されているなあと思った。もっと小さい子供がベビーカーに乗せられているというグループも見た。ヨーロッパの特に北の方の人々は日光不足になるのを恐れて昼間のうちは寒くても出来るだけ外に出ようとする。お年寄りも(私のように)普通に歩いているし小中学生の子供たちなんて元気が有り余ってはっちゃけている。たまたま近くに小学校らしきところがあって、門越しに中庭ではしゃぐ子供たちの大変賑やかな様子が眺められた。
犬の散歩もよく見た。よくネットで「犬に服を着せたりするなんて日本だけ」と笑われていることがあるが、ヘルシンキのワンちゃんたちも服を着ていた。やっぱり犬だって寒いんだもんね、皆が皆、セントバーナードやサモエドじゃないんだから。
”ストックマン”というデパートがあったはずだよなあ、と思いながら駅近くまで行くと、たまたま日本で言えば伊勢丹やパルコに当たるような、有名店ばかりはいっているビルに行き当たったので入ってみる。するといきなりマリメッコのショップに遭遇したのでここでお土産を買いそろえることにした。娘への物はムーミングッズということになっているので他の人たちのものを全部マリメッコで賄うことにする。それなりに高いかなあと思ったのだが10~20€の商品もあり何とか選び終える。
しかしこれまでいつも海外旅行のお土産を町のスーパーや空港の免税店でしか買ったことのない私は初めてこのような名店に入ってお会計のところで大変戸惑うことになる。ディスカウントをするのでメンバーになる手続きを、と言われて「私、外国人ですし」と言って逃げようとしたのだが「かまいません」ということでいろいろ説明される。よくわからないのでシドロモドロになるが、ショップ店員のお姉さんはこんな話の通じない婆さんに根気よく対応してくれ、電話番号だのメールアドレスだのいろいろと聞き出し、パスポートをチェックし、カードの操作も教えてくれて無事に手続きが済んだようであった。そして最後に「帰国の際には空港で『グローバルブルー』というオフィスに寄り、この書類を提出するように。お買い上げのものはその時まで梱包を解いてはいけません」と言われた。言われたことが全部理解できたわけではないが、何とか法律違反をせずにお土産を携えて帰国できそうであった。
そして偶然にもマリメッコのはす向かいにムーミンショップもあったのでそこでも買い物を済ませることができた。小物一点だけのせいかここではややこしいことは言われなかった。現金で買ったせいかもしれない。でも一つわけがわからなかったのは「ディスカウントする?」と聞かれたことで・・・。「・・・?はい。」と答えたらそれだけでディスカウントしてくれた。無条件でディスカウント出来るのなら聞かずにしてくれるものだと思うが・・・。まあいいや、というわけで無事に必要な買い物が済んだ私は荷物を置きに一度ホテルに戻る。そして少し休んで13:30頃昼食をとりにまた外に出る。
ガイドブックで知った有名な日本食のレストランである。日本人の方がやっているらしい。ちょっと町はずれのあまり目立たないところにあったが前の日のうちに 確認できていたので安心して向かうことができた。そしてあまり混まない時間だったのか私が行った時には誰も客が入っていなかった。しかし私のすぐ後から日本人とそうでない若い女性の二人組が入ってきた。二人は日本語で会話をしていた。ウェイトレスさんは日本語が少しできるが日本人ではないようだった。アジア系の顔をしていた。それからオーナーらしい日本人の男性がいた。


店内はけっこう広く、とても落ち着いたよい雰囲気だった。お水がサービスで出てきたのでびっくりした。海外では初めてである。メニューを見せてもらうと「ミニどんぶり」というものがあった。おお、ラッキー!と思い、それにすることにした。「トッピング」は「てんぷら」を選んだ。ミニサイズの天丼なら食べられるだろうと思った。それから味噌汁も頼んだ。味噌汁は日本ならセットでついているものだが海外では通常別注するものである。

そしていただいてみると味噌汁はとても美味しかったが天丼の方は「???」であった。これをてんぷら と言うか?ニンジンやキャベツなどの野菜を1~2口大の薄切りにしたものを一枚ずつ素揚げにしたようなものが載っている。コロモはついているようないないような・・・。それにウスターソースのようなものがかかっていてレモンが添えてある。現地の客の好みに合わせた料理なんだろうか?せっかく頑張って営業している同胞の方に悪口のようなことは言いたくないのだが私の好みの味ではなかった。それからご飯がちょっと「?」だった。インディカ米とかではないことは確かなのだが日本で通常に食べているお米よりも粘りが少なかった。まあこっちにいるとコシヒカリとかあきたこまちとかばかり仕入れるのは難しいかな?とは思うが。
それから私は夕食用に何かテイクアウトできるものはないかと考えていたのだがオーナーさんに相談してみるとおにぎりでいいか?とおっしゃる。このお米でおにぎりを作るのは難しくないか?と思ってしまったがはっきりそんなことを言っては失礼なので何も言わずにお願いすることにする。そして中身は何にするかと聞かれる。梅干しかシャケかトナカイか(笑)・・・トナカイは私の歯に対してどうなのかわからないので除外して、シャケももしかしてモサッとしていたら嫌なので梅干しにしておいた。おにぎりの大きさを尋ねると「こーんなもんです。」と小さいように言っていたが出来上がってみると十分大きくて、まるで私が二十代のころある山小屋でお昼の弁当として作ってくれたのと同じくらいの巨大なおにぎりが二個入っていた。若い頃は問題なく食べられたが、当時でもその大きさにちょっとびっくりしたものである。 こりゃあ食べきれないなあと心配だったが中身の梅干しはとても美味しく、結局おにぎりはその夜に一つとちょっと食べ、あとの残りは翌日の昼までに空港あたりで食べきった。でも冷めたそのおにぎりは やはり堅かった。
それからこの日は買い物から一度ホテルに戻ってきた時にフロントに申し出てテレビがつくようにしてもらった。リモコンの電池が切れていただけのようであった。

(12月8日)
もう帰途に就く日である。この日は朝7:00過ぎに朝食に行った。並べてあった食べ物は前日と同じであったが私は前日食べきれないと思って選ばなかった物を選んでみたり、前日はちょっと多く取りすぎて食べるのが大変だったものを少なめに取るなどうまく調整して楽しめたので二泊の滞在で丁度よかったなと思った。

チェックアウトは12:00までにすればいいということだったのでもっとゆっくりしていてもよかったのだが、私は少し早めに出てさっさとトイレの心配のない空港にたどり着いてそこで時間を過ごそうと考えた。免税に関する手続きということで「グローバルブルー」なる窓口にも行かねばならないしそこでの手続きは時間がかかって厄介だなどと夫が言ってきたものだからそのせいもある。しかしそれにしてもこちらがゆっくりしようとしていると他の部屋から掃除機の音が聞こえてきたりするので(仕事を効率よく進めようとするスタッフの方々にしてみれば当然なのだが)、うるさいというわけではなく何だか「早く出発しろ」とせっつかれているような気分になってしまうのが厄介である。それで私は10:00過ぎにホテルをチェックアウトし、もうすっかり覚えた道を真っ直ぐ駅に向かった。そして19番線近くにあった券売機でスムーズに空港までの一回券を購入した。
思えば今回の旅は私にとって「シニアの修学旅行」みたいなものであった。あれやこれや調べて準備をし、ドキドキしながらいろんなことに挑戦して覚えていった。VJWの登録やたまにしか使っていなかったクレジットカードやまだ使ったことがなかったデビットカードを使うようになった。駅の券売機の使い方を覚え、免税手続きというものをし、ビジネスクラスも体験できた。私はもう年を取って人並みに歩けない、食べられないという状態になったがそういう条件で楽しめる旅を模索するのも有意義なことだ。(ちょっと負け惜しみが入っております。)
空港には11:00ごろ着いたがまず「グローバルブルー」の場所をインフォーメーションで尋ね、そちらの用事(チャチャッと済んだ。包んであるものを開く必要もなかった)を済ませてから到着ロビーに13:30ごろまでいて、待合場所の椅子に座って周囲を行きかう人々を飽かず眺めていた。ホテルの部屋でボーッとしているよりは動きがあるわけだ。ここは乗り継ぎによく使われる空港だそうで、いろんな人種の人々が利用するのだろう。身長2mくらいありそうな人もよく見るし、私より小さい人も珍しくない。私は人々を眺めながら考察してみる。欧米人やアフリカ系の人々の平均身長は男女込みで180㎝くらいだな。アジア人の平均身長は男女込みで160㎝くらいか?それとも165㎝くらいか?と。女性にも随分大きい人がいるし男性にも小さい人がいるから分けて考えなくてもいいと思う。

次に私は出発ロビーの待合室に移動した。ここで14:45ごろまで過ごし、それからチェックインカウンターに向かった。そしてそこでの手続き、VJWのチェックなどは問題なく済んだのであるが、私のしくじりで思い出すたびに恥ずかしいのは「ヴァクシネイション」という言葉を度忘れして、言われた時意味がどうしても分からずに一分間くらい固まってしまったことである。何、ヴァクシネイションて?わからないです~、聞いたことがあるような気も微かにするのだけど・・・。「コロナの・・」と言われてようやく思い出した。ワクチン接種のことであった。赤面の至りである。
私が「ヴァクシネイション」という言葉を知ったのは何かの書類の中で、それまで知らない言葉だったのだがVaccinationという文字列を見てすぐに「ワクチン接種のことか!」とピンときた。だからその時にはもうその言葉を知らなかったわけではないし「Vaccination」というスペルもすぐに頭に浮かんだのだったが、それでも「ワクチン接種」という日本語とすぐに結びつかなかったのは「意味検索」のスイッチを目からの信号によってONにするか耳からの信号によってONにするのかで反応の速さが違うということだろうなと思った。日本人はどうしても目で文字を読んで理解する方が耳で聞いただけで理解することよりも得意なのだ。
その事件で動揺したせいか、私はかなりモタモタしながら搭乗ゲートに向かう通路に入った。そしてその先がやたら長い道だった。どこの空港でもチェックインカウンターから搭乗口までの通路は長いものだがヴァンター空港のそれは特に長かった。しかも途中にまたナゾのゲートがあって、前を行く人がそこの台にパスポートをかざして通過していくのを見て私も同じようにやってみたがなぜかうまくいかない。クマさんのキャラクターの映像が出て手でバッテンを作り「ブブーッ!」と言う。もう一度トライしてみてもやはり同じだったので、たまたま通りかかったスタッフらしい方にどうすればいいのかと尋ねると「向こうに有人のカウンターがあるので並んで下さい」と言う。それでそこは無事に通過できた。(後から気づいたのだがなぜここで私のパスポートが機械に受けつけられなかったのか?もしかしたらそれは少し前からネットで言われていた「最新の日本のパスワードは偽造防止のためにいろいろな細工が施されているのでそのために海外の機械では対応しきれないことがある。パスポート写真の表面がキラキラしすぎているなど・・・」ということのせいだったのかもしれない。)
そのあとビジネスクラスのラウンジに行って一時間余りを過ごす。セルフサービスのサーバーからコーラや紅茶をいただく。結構スペースは広かったが利用者はあまり多くなかった。ラウンジの入り口近くの広いホールにサンタのそりのディスプレイがあった。ちなみに出国時の羽田の さくらラウンジはけっこう混雑していた。座る場所がないほどではなかったが。

搭乗時間が近づき搭乗口に向かう。羽田行きは47番ゲートである。行ってみると当然かもしれないが日本人ばかり。これまでフィンランドに来てから日本人の姿などほとんど見なかったのに「どこからこれだけ出てきたんだ?」と思ったくらい。ちなみに2018年にパリから羽田に戻る便に乗った時にはほとんどがフランス人で、日本人は「探せばチラホラ見つけられる」という程度だったのでびっくりしたものだ。
ところが搭乗時刻になってもなかなか案内がない。何なんだ?と思っていると「只今機内の清掃をしております。もうしばらくお待ちください。」などという案内がある。時間が過ぎたのに清掃中って、そんなわけがあるかーい!何か別の理由だろうとは思ったがわからなかった。もしかしたら何か機体に不具合でも見つかったとか調整中とか・・?怖くなってきた。日本の電車とかなら「少々お待ちください」とか言われても全心配しないが空を飛ぶヒコーキではなあ・・・どうか早く問題が解決して無事に飛んで羽田に着いてほしい・・・。
結局飛行機は約二時間遅れで離陸して、約一時間半遅れで羽田に着陸した。遅れた理由は「雪」だったそうだ。雪なんていつでも降っていたじゃないか?とは思うがやっぱりその時によって降り方積もり方の多い少ないがあって、それで安全に飛行できるか否かの違いが出るのだろう。つまり「滑走路の雪かきをしておりました」という感じかな?残念ながら私の席は窓際ではなかったので外の様子はうかがえなかったのだが。


やっと無事に離陸してからも「大丈夫だろうか?」と私は不安だったがそのあとは何も問題はなかった。出発が二時間遅れたフライトではあったが可及的にスピードアップをしてくれたらしく、一時間半の遅れで羽田に到着した。到着後、問題のVJWのチェックもササっと済み、またこれもYouTubeからの前情報のお陰で検疫の部分だけは機内で配られる黄色の縦長の紙を示してサッと通過。それまでのVJWのチェックも歩きながら提示しているスマホの画面をチラッと目視するだけで、「他人の物を見せてもわかんないんじゃね?」と陰口をたたかれるくらいの状態であった。全く出発前のあの騒ぎと頑張りと気苦労は何だったのか?という思いである。
帰国すると空港の外がやたら暑く感じられて、荷物が急に重くなったように思えた。出発時は寒い日だったのでヘルシンキの街中を歩くのと同じくらいの服装でも問題なかったのだが。でもそれは私の気分のせいでもあったようで、コートを脱いで抱えて電車に乗っていると周りの人たちはもっと厚着をしていたのでちょっと浮いてしまった感じであった。
羽田から浜松町を経て京浜東北線で大宮まで。その先は夕方の通勤通学ラッシュなのにこんなに嵩張った状態(お土産の袋もあったし)の人間が混雑したニューシャトル(路面電車サイズのものが高架の上を走っている)のに乗るのは人様の迷惑だろうと考えてタクシーに乗った。
( 完 )
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