「英国村」探訪記 

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    2024年12月3日(火)~12月4日(水)

今年のうちに行っておきたかった。これは私の最後の旅かもしれない。(冠婚葬祭や同窓会のようなものがあれば別。)昨今体力の減退により楽しめることが随分少なくなったからということもあるが、来年はこんなことを言うと笑われるかもしれないが何かが起こりそうだという悪いうわさがいろいろと立ち込めている。戦争や災害やパンデミックのようなものが・・・。そういうわけで、もう金輪際旅はしないと決心したわけではないが少なくても今のところ、今後の旅行の予定は皆無だということである。そしてもうこのごろは「どうしてもどこそこに行きたい!」という願望がなくなってきた。だから先日のスペインの旅で終わりにしようかと思っていた。でも二か月くらい前にたまたまユーチューブの動画で「英国村」について知って興味が湧いた。最後の締めくくりに行ってみるのもいいかなと思った。

 ここは言ってみればすごく小さなテーマパークだと思う。150年前のイギリスの田舎を模した風景と建物と宿泊施設、飲食店などを再現している。テーマパークと言っても私はディズニーランドやユニバーサルスタジオのようなところに行きたいとは思わないのだ。一時期行きたいと思っていたハウステンボスも今はどうでも良くなった。人が多すぎるしミーハーチック過ぎて落ち着けないと思う。でもこういう所なら個人経営のペンションみたいなものだから落ち着いた気分で過ごせそうだ。宿泊費はなかなかのものだったが外国に行くよりは交通費がかからないわけだし電話をかけるだけで予約も問い合わせも取り消しもできるし(ネットで予約すればもっと安かったようだが)気楽でいい。

 ところで私の旅は二つの種類に分けられる。一つは目的地に到達するため、またはその行程を経験するための旅、もう一つは旅程や目的地での滞在を楽しむための旅である。スペインへのカミーノ、(及び先日のフィステーラ行き)やそれらの予習として2014年に行ったウィーンから南仏までの列車の旅は前者にあたり、ブータンや京都や今回の英国村は後者にあたる。去年行った韓国はどっちだろう?中間?でもやや前者寄りでフィンランドに行ったのはこれも中間でやや後者寄りという感じだ。

 前者の場合は荷物減らしに特に力を入れ、服装も活動性を最重要視する。しかし後者の場合はファッションを重視する。(といってももともと体力に乏しい私のことだから際限なく荷物を増やすことはできない。だから出来る範囲で、ということである。)行き帰りにどんな服装するか、のみならず夜部屋で着るもの、持参の小物、道中車内で食事をするなら何を食べるか、荷物を入れるバッグの形態などすべてのことにできるだけこだわる。私は三十歳以降、大きな荷物の運搬には背負うタイプのバッグを用いているが(腕力が弱いので)、今回はそれはファッショナブルではないので敢えて手に提げて持つ形の物にした。

 今回向かうのは150年前のイギリスの田舎を模した世界であるからそれなりの恰好をしていなくては絵にならない。それなりの、といっても流石に19世紀の服装で行こうというつもりはない。でも50年程度前のファッションならば十分にあちらの風景との親和性を失わない状態での旅と滞在ができると思った。50年程前、すなわち私の若いころは「旅行」というと一種の「ハレ」のイベントという感覚が残っていて、特にある程度以上の年齢の女性はパンツ姿やリュック型のバッグで旅をすることはあまりなかった。私がそういう姿で大学や一人暮らしの場所から帰省したりすると「山登りみたいな恰好をしてみっともない!」と母に言われたものである。それでも私は必要であれば活動的な服装の方を選んできたが今回は旅全体をお洒落なものにしたいのでかつての老婦人的ないでたちで行くことにした。服装は渋い色合いのワンピースにウールの長いコート、荷物はコートと同じ生地のように見える(がそうではない)ハンドバッグと薄手の素材の手提げバッグ。荷物を詰めたら4.5㎏くらいの重さになり私にとってはやや負担だが今時の皆様が持っているスーツケースやキャリーケースに比べればずっと小さくて軽い。(キャスターがついている方が便利だろうと思われるだろうがそういうバッグは本体がすでに重いので嫌だった。転がる音もうるさいし。)

 靴は通常履いている(老人がよく履いている)黒の軽いウォーキングシューズだがもう10年近く履いていて、でもまだまだ丈夫で使えるので捨てはしないが、この際だから新しいのを買ってそちらを履いていくことにした。(これでもう靴は一生買わなくても大丈夫である。)

12月3日(火)朝8:45に家を出た。まだ言っていなかったが「英国村」というのは京都府の亀岡市というところにある。「半年おきに3回続けて京都?!」ということになってしまったが今回のはいわゆる京都観光とは違う。でも京都まで新幹線で往復するのは同じである。でも日帰りではないしホテルのチェックインの時間が午後3時なのでそんなに早く出発する必要はない。でももし若い頃だったら往路にもいろいろ動き回る計画を詰め込んでいたかもしれないが、もはやそんな体力はない。だから朝食は家で済ませて、しかも残る家族のための二日分の食事の用意までして出発した。

 朝食に、前日の残りの揚げ物をおかずにしてご飯を食べてしまったのでしっかりおなかにたまってしまい、昼食はおにぎり二個で大丈夫だろうと考えて行きがけに「ミニストップ」に寄った。そうしたら思いがけずにスーパーのおにぎり(最近値上げされてかなり高くなった)よりも安いおにぎりがあって、しかも内容も良かったのでラッキーだった。そういうわけでせっかく往路新幹線の中でのランチなのにさほどファッショナブルな光景にはならなかった。

       奥のタッパーは朝飲みきれなかったカフェオレ

 京都に向かうのはもう三度目なので車窓からの写真は別に頑張らなくてもいいやと思っていたが、それでも晴天の青空をバックにした富士山が「撮ってみるか?」と私をけしかける。それでまあ、1,2度失敗はしたが何とかキレイ目の一枚が撮影できた。

 13:00ちょっと前に京都駅に到着。京都駅から亀岡駅までは電車で30分で、その電車は15~20おきに出ていて亀岡駅には14:30に着けばいいのでいくらか京都での時間がある。これはわざと買い物のためにとっておいたのである。荷物を増やしたくない私がわざわざ往路で買い物とは何か?といえばそれは娘への土産の「カール」である。もはや関東では手に入らない「カール」、これは必ずゲットしなくてはならない。ただこれは小物のくせに場所をとるのが難である。袋には中身を保護するために空気が充填されているが、それでも注意して運搬しないと何がおおこるかわからない。そしてなぜたかがカールを帰り際ではなく行く途中で買ったのかと言うと、帰りにお土産を探す時間を確実に持てるかどうかわからなかったからである。

 亀岡駅から英国村までは送迎サービスがあるということで利用させていただくことにしたのだが、その時刻が行きは亀岡駅を14:30,帰りは英国村を14:00,それだけであった。帰りに英国村を14:00に出発すると京都駅から新幹線に乗るのは16:00ごろだろうか?私は心配性なので何かで遅れたりはしないか?と必要以上に考えてしまう。二日目の夕食まで用意してきたのだからそう急いで帰宅する必要はないのだがそれなのに「あまり遅くなりたくない」という強迫観念が生じる。それに三度目とはいえ、実は京都駅内のいろいろな施設の位置関係はまだちゃんと理解していないのでカールを売っている場所にすぐにたどり着けるかどうか自信がなかった。だから「カールをゲット」は時間に余裕のある一日目にやっておいたほうがいいと思ったのだ。

       赤い牛の子はスペインから来ました。

 京都駅に着いて、前の時と違うエスカレーターから降りたのかあたりの様子に見覚えはなかったが、その辺にお土産屋さんが多数並んでいて割とすぐにカールを見つけることができた。(前に買った店とは違う)それで山陰本線の亀岡行きの電車に乗る時刻まではかなり余裕ができてしまったが、でも京都駅というのは私の知っている主に東日本の大きな駅とは施設の配置が随分違う気がする。勿論表示を見ながら行けば迷うことはないのだが、「へー、こっちへ行くんだ!なんだか変。」と感じることが多かった。だから時間に余裕がありすぎるくらいでちょうどよかった。14:25に亀岡駅に着く電車もあったが私はそれより一つ前のに乗車して14:10ごろに亀岡駅に着いた。でもそこでトイレに行ったり(少し並んでいた)したのでむしろ余裕ができてよかった。

   京都駅、山陰本線のホーム。これから亀岡行きに乗車。

             亀岡駅、北口駅前。

 亀岡駅北口の階段下で待ち合わせだったので、そのあたりにあったベンチに腰かけて正面の駐車場を眺めていたら5分くらいで聞いていたとおりの黒いバンがやってきた。上品な書体で「英国村」と車体に書いてあったのですぐにわかった。着いた車からは帰るお客さんが二名降りてきて、これから行くのは私一人だった。

 亀岡は京都駅から電車で30分くらいのところだが、意外に「田舎に来た」感がある。途中の保津峡の駅のホームからは山が迫って見えた。関東で言えば新宿駅や上野駅(東京駅に例えるのは位置的に無理)から下りの電車に乗ったら10分くらいで「栃木県に入ってしまった?」という気がするくらいである。そしてその亀岡駅から車で山の中に入っていく。12月の初めだが秋の紅葉のさなかである。錦繍と形容するほど華やかではないが、赤、黄、茶、緑の混じり具合が丁度良い晩秋らしさである。

 それにしても、と気が付いた。このような山あいの秋の景色を眺めるのはいつ以来だろう?私の母親が住んでいた家の周囲(田舎だが鉄道の駅のすぐそば)や私の妹の家(東京都のはずれ)で見た以外では、このように山道を辿りながら連なりゆく広葉樹の森や林を眺めたのはもう30年以上も前か?と不思議な気がした。まだ子供がいなかったころだから。でもそんなに前だという気がしない。それだけ強く私の脳裏に染みついているのだろうか。

 そのような山道を30分近く進んだところに「英国村」はあった。広さは「ちょっと広い庭園」というくらい。創業は2009年だというから15年前。しかしレストランやコテージなどのメインの建物はそれなりに古びた様子だし、庭に配置してあるベンチやテーブルの半分くらいは朽ちかけている。これは手入れが行き届かずにそうなってしまっているのか、それともわざとそのように演出してあるのかわからなかったがどっちなのか聞くのを忘れてしまった。

 レストラン、というか食事をする部屋はいくつかあって夕食はこっち、朝食はこっち、とそれぞれ決められていた。チェックインの手続きをしたのもそういうお食事部屋の一つで、美味しい紅茶をいただきながらであった。どの部屋も同じような家具や調度品や可愛らしい小物類で飾られていて思いっきり英国趣味であった。勿論私はそういう物は好きな方なのでいいのだが、いささか飾り物(アンティーク小物)が多すぎる感じもした。それらは売り物ではなく飾られているだけで、しかもみなかなり古いようなのだ。だからアンティークっぽく作られたものではなく本当に100年以上たっている物に見える。貰って使いたいなどという気にはならないほど古びていたり傷んでいたりする。それらが「よくこれだけ集めたな」と思ってしまうほど数が多かった。建物は古い家を模してわざわざ建てたそうだが家具や小物たちは本物だろうという気がした。

      チェックインの手続きをした部屋。夕食もここだった。

            ウェルカムティー

 スタッフはそんなに多くはないらしく、私が見たのは黒いメイド服と白いエプロンとキャップをつけた若い女性が3人、運転や料理などを担当しているらしい年配の男性が2人くらいだった。尤も私は記憶力があまりよくないのでちょっと数を間違えているかもしれない。で、そのメイド服だがそれは秋葉原のメイドカフェの制服のようなキャピキャピしたデザインの物ではなくもっと渋いものである。「小公女(リトルプリンセス)」の映画(もちろん実写版)を見たことのある方なら、あのミンチン女学院の台所で働いていたメイドさんたちの服のようなもの、と言えばお分かりになると思う。

 受付のあるところから私が泊まらせてもらうコテージのあるあたりまでは野道を200mくらい歩くようになっていた。人手が潤沢ではなさそうなのにメイドさんが二人もついて(一人が案内、一人が荷物持ち)私をコテージまで送ってくれた。でもお一人がいろいろ案内の口上を述べながら歩いている間、もうお一人がずっと荷物を下げたままでいて下さるのが申し訳なかったが、でもお若そうな方なので(多分20代くらい)それほどのことではなかったのかもしれない。

      ここはバーなのだという。以下二枚同じ建物の中。

     敷地の一番奥にあったチャペル。結婚式ができる。

               その前庭

              チャペルの中

 案内されたコテージには「ケティー」という名前がつけられていた。渡された鍵にはフェルトのキーホルダーが付いていた。ドアのかぎ周りは少しガタついていたが開け閉めしにくいというほどでもなく、チェーンもついているのでまあ問題はないだろうと思ったが、男性が力でこじ開けようと思ったら可能だろうなと考えてしまった。

その建物は二階建てで一階がリビングになっていた。右側に食事用のような4人掛けのテーブルと椅子が置いてあり、左奥にに丸いテーブルとそれに合う2脚の椅子があり、右奥に小さなキッチンがあった。中央の奥から左側に向けて昇る非常に素朴なデザインの石造りのような階段が二階に通じていた。二階にはベッド二台を置いたベッドルームとバスルームがあった。バスルームの中にはトイレとバスタブと洗面台があった。バスタブは長すぎると思った。三分の二の長さで十分ではないか?私には半分の長さでも使用可能である。身長の高い人向けにできているのかもしれないが、それにしては家全体のサイズが小さめだと思った。日本人向けに、或いは予算の都合か何かでイギリスでの実際のサイズより小さめにできているのかなと思ったくらいである。それとも150年前だとイギリス人の体格もそれほどではなくて家のサイズも本当にこの程度だったのかな?とも考えた。でもベッドの高さも高すぎる気がした。私は腕に力を入れてよじ登らなくてはならなかった。今まで泊まったことのあるホテルのベッドでこんなに高さのあるのは見たことがなかった。しかし1,2階ともエアコンが設置されていて温度調整も、それから照明設備も十分だった。

          キッチン。使うことはなかった。

           丸いテーブルと椅子

            ドアとその付近

  家から連れてきた黒猫。レースも私が編みました前にあるのは部屋の鍵。

            バスタブ

               ベッド

     一階の食事用テーブルの椅子がとてもすてき。

       こんな階段、今時あるんですねー。

 ここの受付やレストランなどの設備もそうだが宿泊用のコテージも甚だメルヘンチックで素朴で古めかしくて、ここまでとは思わなかったというほどであった。私はこういうのは嫌いではないし、年齢的に日本の昔の田舎の生活などの経験もあるので「なるほど、なるほど」と一種懐かしい風情を味わうこともできたのだが、若い方だとこれほどまでの古色蒼然さは馴染みがなさすぎて「汚い」「荒れている」「手入れがされていない」と思ってしまう方もいるのではないか。

 しかしその家の中で一人で過ごすのはとても落ち着くものであった。いつもユーチューブ動画を見ているようなタブレットは重いので持ってこなかったが、貴重な一人時間を有効に過ごすための小道具として何か小さい本など・・・と思って探したが適当なものが見つからなかったので、かつてドイツ語の学習をするときに使ったことのある薄いテキストを一冊持ってきたが、これを1ページ目からさらってみるととてもはかどった。(第二外国語としてとったのはフランス語で、ドイツ語はまあ独学である。)大学生時代からかじっているのにちっとも上達しないドイツ語だったが、ややこしい時間、時刻の表現のところ(例えば2時25分、というのを「3時より半時間前の5分前」のような形で言う)がよく頭に入ったりした。

 夕食を18:00ということでお願いしたので「暗くなってる時間だな。道は大丈夫か?」と心配になった。案内していただく時にそのことについて尋ねたら「ところどころに街灯があります。」と言われ、「あとはスマホのライトでとか・・・、お部屋に懐中電灯もあると思います。」とのことだった。しかし懐中電灯はいくら探しても見当たらなかったので諦めた。 無料Wi-Fiの設定を教えてもらわなくてはいけないということもあった。家にラインを送ろうとしてみたが駄目だったので。17:30に外に出てフロントやレストランのある建物を目指した。やはり小さくてまばらな街灯とスマホ灯では心もとない感じで足元に注意しながらたどり着く。

 食事のメニューの種類はそう多くはなく、皆ハイ・ティーのセットになっていた。まあ選択肢が少ないというのは私の胃袋が小さいせいでもある。そしてお値段がすばらしいのも仕方がない。宿泊費もすばらしいのだがイギリスに行く費用と手間が省けたと考えれば納得できるし、もしイギリスに行ったとしても食事代は同じくらいかかりそうだ。しかし私が出来るだけ残さずに食べられそうなものを選ぶとなると非常に限定されて、はっきり言うと一つしかなかった。それがこれである。

          ミルク入れが牛の形です。

 お値段は3000円だったがパスタは美味しく残らずいただけて、デザートのケーキは何とか食べ終えて、スコーンはこっそりテイクアウトした。(明日朝の早朝食が必要だったのである。)

 それからこちらではとても紅茶にこだわっているようで、私の聞いたことのない名前の茶葉を何種類も用意してあるらしく、どの食事の時や休憩の時も「紅茶はいかが?」「もっといかが?」としょっちゅう聞かれるので実質飲み放題のようだったが私の胃袋ではポットのお代わりまでする余裕はなかった。でもふと考えてしまった。昔からイギリスではそんなにも紅茶にハマった生活をしていたのだろうか?ここは決してイギリスの王侯貴族の館を模したものではない。田舎宿か町宿を模したものである。つまり庶民にもこれだけ紅茶が流布していたということだ。でもそれはインドとかセイロンとかの植民地があったおかげだろう。それでイギリス人たちは日常的に美味しい紅茶をふんだんに楽しめていたんだろうけどその間、植民地の人たちの生活はどうだったのだろうか?

            同じ部屋の一角

 食事の後、また足元に気を付けながらコテージに戻りけっこう長い夜を過ごした。退屈はしなかった。入浴はどうでもいいような気がしたが一応沐浴だけしてみた。暖房があるので寒いわけではなかったが、洋風のバスで洗髪したり 体を洗ったりするのってなんだか面倒で、私はいつもホテルのバスではバスタブがあったとしても簡単に済ませてしまったり入浴はパスしてしまったりする。勿論暑かったりした時にはしっかりシャワーを利用するが。今回のようにバスタブが大きかったりすると湯を溜めるのが大変で「もうやめようかなあ。」と思ってしまったりするし。

    ナイトウェアを作ってきちゃいました(∀`*ゞ)テヘッ

          このようなものを着て来ました。

         こういう服も持ってきました。

 ベッドは高すぎたがちゃんと柔らかな掛け布団が載っていて、(先日のスペインの話を参照し下さい)エアコンもあって非常に快適だったがあまりよく眠れなかった。家族が用事でいろいろとラインを送ってきてそれが23:00過ぎまで続いたからである。私はいつも午後8:00ごろに眠くなり、その眠りの波を取り逃がしてしまうと12:00過ぎまで眠れなくなってしまうことが多い。といっても8時や9時にちゃんと眠れるということは少なく、いつも眠りの波を取り逃がして苦労しているのである。そして朝はいつも出来るだけ4:00に起きる。一人時間を確保するためである。でもまあ次の朝はそこまで頑張る必要はない。でもよく眠れなかったので翌朝4時にはすでに目が開いていた。でもあわよくばの二度寝を期待して5時ごろまでベッドの中にいた。でもそれ以上寝ているのは時間が勿体ない。起きて昨晩夕食の皿から持ち出したスコーンの呆れるほどカチカチになったのを持参のミルクコーヒーで溶かしながら食べ、ドイツ語のテキストを読みながら飽きることなく朝の時間を過ごした。

           泊まったコテージの前

            コテージの入り口

        メインストリート的なところ?

 9:10ごろにコテージを出て食堂に向かった。朝食は宿泊と込みであったがスペインやフランスあたりの簡素な朝食とは異なり、さすがイングリッシュブレックファーストは豪華であった。でも初めにヨーグルトと共に出されたグラノーラは私には歯が立たずに食べられなかった。しかしそのあとに出されたプレートはとても良かった。スクランブルエッグとベーコンとソーセージと焼トマトとマッシュルームのソテー、チリ味ではなく煮豆のような甘さのビーンズ、トーストとバターとブルーベリージャムとオレンジマーマレード、そしてミルクティー。残念ながら私には少し多すぎたが三分の二くらいを頑張って食べた。しかしそのことのツケがあとで回ってきた。

 チェックアウトは10:30だったので朝食の後はもう急いで荷物をまとめるしかなかった。チェックアウトの時にランチの料金も一緒に精算した。ランチもそれなりの値段であることはわかっていたし、朝食をあれだけ食べたのだからぜひとも昼も食べなくてはならないわけでもなかったのだが、帰りの車が14:00なのでそれまで庭をぶらつくだけでは間がもたないと思ってランチもお願いすることにした。昨夜いただいたパスタのセットの次に量の少なそうなもの、と考えてフィッシュアンドチップスのセットを選んだ。値段は同じ3000円だった。昼食のテーブルは11:30に用意しておくと言われてそれまで過ごせるようにと別のコテージのような食堂のような小さい建物の部屋を使わせて下さった。ランチまで頼んだからそこまでサービスしてくれたのかもしれなかった。

 ここは敷地内にいろいろな建物があるが、何のためにあるのかよくわからないものもある。バーだったり、(でもお客がよく来るのか?スタッフはいつもいるのか?)ドレスショップだったり(同じく営業はちゃんとしているのか?スタッフをいつも置いておくことは出来なそうに見える)物置だったり、バス停にある待合所くらいの大きさの建物だが小さなティールームらしくてお客さんは入っていてスタッフも出入りしていたり。でも少ないスタッフが走り回っている感じで大変じゃないかと思った。この施設や建物の建設については創業者の女性がかなりこだわりを持っていてご自分でも壁を塗ったりして作ったと、案内のメイドさんが説明して下さっていたが、そのあたりのことを私が詳しく説明することはできないので興味と関心のある方はネットで「英国村」を検索して調べてみて下さい。いろんな口コミ(プラス評価もマイナス評価も)出ていました。

 ランチの時間が11:30からだというと朝食を終えてからまだそれほど時間がたっていなかったので実のところ私にとっては拷問に近かった。運ばれてきたフィッシュアンドチップスの姿は私の想像を超えた大きさだった!美味しいことは大変に美味しかった。もっと空腹時にいただくことができなかったことが真に恨めしかった。でも例え空腹だったとしても半分くらいしか食べられなかったであろう。料理もケーキもとても美味しかったのに、料理は四分の一くらい、ケーキは三分の一くらいをやっとのことで胃に詰め込んで、あとは諦めた。「もっと少量のメニューがあれば・・」とスタッフの方に恨めし気に言ってみたが「でもあれが本場のフィッシュアンドチップスなのです。」ということで・・・。帰宅後にかつて高校生時代に学校の研修旅行でイギリスに行ってフィッシュアンドチップスを食べたことのある娘に尋ねてみたら、全くその通りだということであった。

    ランチをいただいて、そのあとも休憩などに使わせていただいた部屋

 そのあとは日も高くなって戸外もそんなに寒くはなくなったのでゆっくり散歩などをしていた。それでも敷地はそこまで広くはないのでそのうち間が持たなくなってきて「どうぞお使い下さい」と言われてもいたし、先ほどランチをいただいたお部屋で本などを見せていただきながら過ごした。そういう点では大変気を使って親切にしていただいたので安くはない宿泊費もまあリーズナブルな方かなと思った。19世紀後半のイギリスの本物に近いステイが体験できたのだから。明らかにその世界と違うのは日本人が日本語でやっていることと、現代のエアコンやバスルームの設備があったことくらいである。

              庭園の一角

 帰りの車に乗せていただいたのは私一人だった。亀岡駅付近は栃木県みたいな雰囲気だなーと感じていたが、近くに見える山々の形は他の地方とは違った特色があるなと思った。でも写真は撮り損ねた。

 亀岡駅は都会の駅と言う感じではなかったがみどりの窓口があって、大宮駅まで新幹線込みの切符が通しで買えた。連絡もうまくいって京都発15:45のを買ったが時間が余りすぎるくらいだった。京都駅でカール以外のお土産(漬物だけ。これが一番小さくて軽くて安全!)を買い、問題なく17:58に東京駅に到着した。

 しかしそのあとが大変だった。やはり平日の旅はこの部分が最大の問題である。東京駅から乗った京浜東北線は遅れの影響などもあって南浦和までぎゅう詰めであった。その先は一瞬席が空いた時に親切な方が座らせて下さったのでよかったが、大宮に着いて、私は迷った挙句ニューシャトルではなくタクシーに乗ってしまった。疲れ切って歩けなかったのではなく、土産を含め5㎏のバッグを手で下げて帰るのが辛かったからである。私は足よりも腕の力の方が弱い。でも今回はあえてファッションの方を優先した。こういう旅をするのももう最後だと思うから。変なことにこだわって馬鹿みたいだと思われるかもしれないが、自分でやろうと思ってもなかなかできなかったイングリッシュブレックファーストやアフタヌーンティーやハイティー、それにフィッシュアンドチップスも本場の物を食べられてよかった。食べきれなかったのが残念だけど。やっぱり出来ることならば、どうしてもやりたいことはできるだけ若いうちにやらないといけないな、とつくづく思う。50歳くらいだったら食べることも歩くことも荷物を持つこともまだかなりできたであろう。だから若いうちに旅行した場合の半分くらいしかたのしめなかったかもしれないが、それでもまあよかったなと思う。これからは今までに蓄積した思い出を反芻しながら楽しんで生活できるかなと思っている。

                     

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