軽井沢 と つくつく村

紀行文

昨年12月初めに京都府亀岡市の「英国村」に行ってきてから5か月近くも過ぎた。2024年は本当にいろいろな旅を頑張って(キャンセルなどの憂き目に遭わずに無事に遂行することができた、という意味。それが叶ったのは是非とも実行するんだ!という私の強い念の働きもあったと思っている。)それから関係ないことのようだけれどもNHK大河ドラマの「光る君へ」もしっかり堪能できて、実に良い一年であった。これでもう2025年以降はいろいろと世の中に噂されているどんな災害災難苦難に見舞われようともガッチリ受けて立つことができるぞ!と思ってはいるものの、私はやはり可能な限り一人になりたい人であった。そしてある時Uチューブを見ている時に偶然見つけた北軽井沢の「つくつく村」というペンションらしいものを訪ねてみることにした。

 南仏の田舎の雰囲気に作られているということだったので「英国村の南仏バージョンかな」と考えた。このごろは「ペンション」というワードはあまり聞かなくなった気がするけれども30年くらい前は日本の特に女性たちに大人気だったという気がする。欧米風の優美でお洒落な静かでゆったりとした空間でのひと時を気軽に味わえる空間だったから。和風の宿などにも良いことは沢山あるけれど、畳の上で大の字になってくつろぐ同行者や、和室や廊下を走り回る子供たちの姿などを想像すると、それはあまりロマンティックな光景ではない。一人旅であればそういうことはないだろうが、欧米風の空間というのは家具やカーテンやベッドカバーやテーブルクロスや部屋の中に置くことができる小物に対してああいうのがいい、こういうのがいいと女性がいろいろ夢を描く余地がある。日本の家でそういうことをやろうとすると、家族との間にいろいろと軋轢が生じがちなのだ。だから日本の女性がしばしば欧米風に憧れるようになるのだろう。でももちろん彼女たちの夢に描く映像は欧米の本物の光景とはすっかり同じではない。知らず知らずのうちに日本化されてしまった光景である。例えば日本の家に比べて欧米も含めた諸外国では水回りの設備が不便である。飲食物も日本では当たり前にあるだろうと思っていたものが、外国では容易に手に入らない。他にも日本にいると想像できなかったような不便や不都合がある。そういうことがらは全てカットして、便利な日本の中で欧米の美しいものだけを集めたペンションという空間、でもそれでいいじゃないか。欧米の人たちだって好き好んで不便な生活に甘んじているわけではなくて、きれいな水をふんだんに使えないとか車がなくてはちょっとした日用品を買いにも行けないとかはすぐに解決できる問題ではないから仕方なくそのままになっているだけなのだ。でも私も含めて日本に住む主に女性が、日本ならではの「ペンション」という美しいかつ便利な空間を味わおうと旅をするのは悪いことではない。飛行機代をかける必要もないし渡航手続きもいらないし。特に私はもう年をとって乗り物利用中心でしか遠距離移動はできなくなってしまったのだからせっかく身近にある便利でよいものを利用しない手はない。

 そういうわけで「つくつく村」、最寄りの駅は軽井沢なのだが正確には群馬県の嬬恋村にある。新幹線で軽井沢まで行ったらそこから北軽井沢までバスで行く。そこからは宿から送迎に来て下さるそうである。その全行程を合わせると三時間近くかかることになるが、それでも大宮から軽井沢まで新幹線で40分前後だということは全く驚愕ものだ。大宮から40分では京浜東北線で東京までも行けない。高崎線に乗れば行けるかもしれないがホームを確認して階段を下りたり込み合っていて座れなかったりというのがうっとうしいので、それに比べたら新幹線のホームの方が近いしエスカレーターも待合室もトイレも整っているし案内表示も非常に見やすい。指定席なら必ず座れるし、問題はそれなりに料金がかかることだけである。それでも盛岡や京都に行く時に比べると「往復一万円ちょっと!」はものすごく安く感じてしまう。軽井沢って在来線で行くと乗り換えが不便そうなので猶更そう思う。

 2025年4月25日9:06大宮発のはくたか555号に乗る。北軽井沢のバス停に15:00過ぎに迎えに来て下さるというのでこんなに早く出発する必要はなく午後一時に出ても大丈夫なくらいなのだが、私はできるだけ一人時間を長く取りたいので娘の朝食を用意するとすぐに「じゃあね~行ってきまーす!」と家を出た。軽井沢というところははるか昔に何かの団体旅行でバスで行って二時間くらい立ち寄っただけだが、そのころとはずいぶん様子が違っていることだろう。だからそれより後にできた長野新幹線の軽井沢駅の周辺というのはどんなところなのかよく見てもみたいのでたっぷり時間をとったということでもある。

          軽井沢の駅のホームから。山の名前はわからない。

            上の二枚、軽井沢駅北口のデッキから。

        南口のデッキの上から。左の方に行くとショッピングモールと公園がある。

新幹線が軽井沢に到着したのは9:43であった。40分さえかかっていない。(ただし帰りは「あさま」で各駅停車だったので47分かかった。)駅周辺は広々としていて美しかった。北軽井沢に向かうバスの乗り場は北口にあり、南口にはお洒落なショッピングモールが広がっている。平屋の建物が広々とした美しい公園を囲むように建てられていて、よく国際空港の免税店エリアにあるような高級店群をはじめとしてお洒落なショップが長く長く連なっている。勿論そういう店はちらっと横目で眺めるだけにして私のような者でも入れるようなコンビニや広々としたフードコートもあり、各店沿いの通路にはしっかりとアーケードがかかっていて普通の雨になら降られても問題はなさそうだった。太陽を浴びたい人にとっても避けたい人にとってもとても過ごしやすそうなところだった。よほどの酷暑か極寒か暴風雨の日でなければ大丈夫である。キャパシティーもとても大きい。座って休める場所はふんだんにあり、ごみを散らかしさえしなければどこでテイクアウト物を食べても問題はない。

 ショッピングモールの通路を一通り全部歩いてみたあと私はフードコートで食事をすることにした。が、実はその前に駅構内にあった周辺地図を見たら少し(?)離れたところに「深沢紅子(こうこ)野の花美術館」というのがあることがわかって「あら~、見に行ってみようかしら」と思った。この深沢紅子さんという女流画家の方は、実は私の1902年生まれの祖母が岩手県盛岡市の女学校に通っていたころの同級生らしい。祖母は私が25歳の時に亡くなったのだが生前よく「紅子さんが、紅子さんが」といろいろ語っていた。そのころ私は特に興味がなくぼんやりと聞いていただけだったのだが、もっとよく話をきいておけばよかったと後になって思うのである。しかしその美術館への行き方を調べてみると歩いたら一時間以上かかるようだということがわかったので、そっちに行くバスが頻繁にあるようでもないしタクシーで行くほどのこともないと思って今回はパスすることにしたのであった。

 フードコートで私はアボカドの入ったBLTサンドとアイスコーヒーを頼んだ。まだ11:00だということもあり、店内はかなり空いていた。その日のそのショッピングモールの人出はかなり少ない方だったのだろうと思うが、それでも「もっと人がいないほうがいい」と思ってしまう私はとんでもない贅沢者だろう。これよりも人が来なくなったら施設はつぶれてしまうに違いない。ちなみにその時は周囲の人々は日本人の方が多かった。外国人だらけだったら嫌だなあと思っていたのだがそんなことはなかった。外国人は中国人が多い感じで、欧米人はほとんどいなかった。ぱっと見たところ、日本人が7割、中国人が2割、その他が1割という感じだった。しかしどういうわけか中国語のアナウンスがひっきりなしに流れていた。日本語や英語のアナウンスは聞いた記憶がなかった。(もしかしたら中国の方々への注意事項が沢山あるとか・・・?)サンドイッチ店のカウンターに程近いテーブルに席をとって私はご多分に漏れずの具の大きなパニーニのサンドイッチと対峙していた。大口あけてがぶりつくというような技は使えないので間違えて持ってきてしまったドリンク用の掻き回し棒も利用しながら、ゆっくり、食材を飛ばさないように上手に食べていたのだが、私の方をさりげなく見ていらしたのであろうカウンター内のスタッフの方がふいに私のところにやってきて「フォークをお使いになりますか?」と聞いて下さった。「ナイフもあります。」「え、そんなのあるの?」「木のですが。」有難く利用させていただいた。ま、帽子を取ったらぱっと出てくる白髪頭!そりゃ、目立つよね。とたんに周囲から気配りの気配の風が流れてくるのがわかります。

 食事には30分くらいを費やしたが時間はまだまだたっぷりありすぎた。座って休む場所はいくらでもあるのだが、同じところに一人であまり長くいると見た目に変だと思うので時々場所を変えた。コンビニもあったので入って見た。宿泊予定のつくつく村では朝食はつくが夕食はつかないので何か買ってきて下さいということだった。コンビニなら夕食用に丁度良いものが何か見つかるだろうと思った。

 そしてそのコンビニはそんなに広いわけではなかったが、品ぞろえとしてはなかなかよかった。街中にある生活者向けのコンビニとはちょっと違う珍しめの品物があるのだった。旅行者向けに考えられているんだなと思った。私はそこでラーメンの入ったサラダと赤飯おにぎりを買った。それからちょっと珍しいのでオリーブオイル漬けの鯖缶と、牛筋煮込みの缶詰と、「ぶためん」の大きいのを買ってみた。(娘はぶためんが好きだったかも?と思ったが、持ち帰って見せたらいらないと言われたのでそのうち私が食べる。)

 14:00過ぎのバスに乗って北軽井沢に着いた。間もなくオーナーの方が車で迎えに来て下さって、私は「つくつく村」に向かった。「15分くらいで」と言われたが実際には30分近くかかったと思う。バスの中から見た景色もそうだったがなかなか気分の良い山道の林の中のドライブであった。周囲に立ち並んでいる木立の樹々にあまり葉っぱが付いていない。ここら辺は高地で寒冷なので春が遅いことはわかるが、それにしてもその日はかなり暖かだった。出発地では我が家の庭をはじめとしてそこらじゅうが新緑で燃えている状態だったのに・・・。不思議でならず、「まさか、枯れ木じゃないよね?」と思ったくらいだった。でももちろんそれらの樹々は枯れているのではなくて、これから葉をだすところだった。それからその樹々の名はミズナラというのだと知った。今まで私はミズナラを見たことがなかったのかもしれない。ブナの林なら何度も見ていて私の頭の中で山の中の木の代表のようになってしまっているのだが。

 「つくつく村」に着いた。ヨーロッパのどこかの侘しい山村のような光景のなかに素朴な造りの、しかしメルヘンチックな建物があった。「英国村」に似ていると言えば似ている。敷地の広さもそんなに違わない。でも「英国村」の方はちょっとテーマパーク寄りで「つくつく村」の方はちょっとペンション寄りだ。「英国村」の方は「村」的なものをいろいろと備え付けてあるが、「つくつく村」の方はオーナーご夫妻のお住まいと、あと宿泊客用の家が2棟だけのようである。庭園のようなものは造られていないが周囲の敷地は「家の庭」ということである。

 英国村の時にもにも猫がいたようであったがこちらでも猫を飼っていた。(一匹だけだったか否か、ちゃんと確認しなかったが)大変な甘えん坊の猫ちゃんのようで、敷地に入るや否や私たちにごろごろとまとわりついて来た。人の足に絡みついたり道の上にお腹を見せて転がりながらついてくる。「お客さんがみんなして可愛がるもんだからすっかりいい気になって・・」とオーナーさんがおっしゃった。私は猫は別に嫌いではないが積極的に抱きしめたり頬ずりをしてゴロゴロにゃんにゃんしたい方ではないので、「かまわないでいいです。」と言われてもちろんそのつもりだ、と思った。

 私が使わせていただくコテージは英国村の時よりもう少しだけ広くて明るい雰囲気だった。イギリス風と南仏風の違い?木材の色が違い、窓が多く、部屋数も一つ二つ多かった。四人でも泊まれる広さである。とても贅沢なことだ。キッチンの設備も整っていてやろうと思えば自炊ができた。でも私はそこまで求めてはいなかったので電子レンジと湯沸かしケトルを使っただけだった。そして夕食として先刻コンビニで買ったラーメンサラダと赤飯結びを食べた。

           食器もカトラリーも完璧に揃っていて電磁調理器もある。

                 玄関。

       ダイニングキッチン。寄木風の手作りのテーブルがとても良い。

  コンビニで買ってきたラーメンサラダと赤飯むすび。この家に似つかわしくない気がするが、まあよい。

 一泊二日の貴重な滞在時間を、この得難い一人の時間をどのように過ごそうかと考えに考えて私は「英国村」の時はドイツ語のテキストブックを持って行ったのだが今回は鉄道唱歌の歌詞(66番まである。そしてさらに東海道線以外のバージョンも沢山ある)を書いたノートを持ってきた。私はそれを20番くらいまで何とか覚えているのだが、それから先も今回は気合を入れてできるだけたくさん覚えようと考えたのである。でもそれはほとんどやらなかった。それよりももっとやるべきこと、味わうべきことがあるような気がしてきた。ファンシーな雰囲気のリビングに置いてあった本や季刊の雑誌などを読みながら、窓越しにまだ早春の庭を眺めながらぼーっと過ごすのがふさわしいと思えてきたから。ログハウスやガーデニングのことが書かれたグラフィックな本の中に「つくつく村」のことを紹介する記事もあった。それを読んで私はこちらのオーナーのUさんご夫妻が、もとは徳島県で同じようなお仕事をされていたのだがふと訪れた浅間山のふもとのこの地の風景に魅入られて移住を決められたのだということ、この建物も皆オーナーさんの手作り、家具も、調度品も、小物も木製や布製の物は皆そうだということを知り、驚愕した。(本を見せていただいて知ったが、日本中にはこちらのUさんと同じように自力でログハウスや素晴らしい庭園を造り、宿泊施設やカフェにしたり、あるいはご家族で住んでいらっしゃる方々も随分いるらしかった。)そして思い出した。私も二十代前半ごろまではそういう生活を夢見ていたのだった。だけど私に出来ることは縫物や料理ぐらいで、あとのことは一人ではできないし、私の周囲にそういう趣味に協力してくれそうな人はいなかったからだんだんと傷んできたキャベツの外側の葉を一枚一枚はがして捨てて行くように諦めてきたのだった。本当に日本の一般的な家に家族と一緒に暮らしながらまわりを自分の好きなように整えたいと思うといろいろな軋轢が生まれる。せめて掃除と片づけの行き届いたきちんとした家で暮らしたいと頑張っても、家族の中に一人でも片づけを拒否する人間がいるとそんなことさえ一生かなわない・・・。

    ロフトに登る階段。こちらでは寝なかった。

          その階段の上。ピーターラビットのぬいぐるみがあった。

        この上が私の使った寝室。

               右側のベッドに寝ました

 英国村に行った頃とは違い、かなり遅くまで外は明るかったがようやく夜のとばりが降り始めたころ、窓の方から何か物音がした。見ればさっきの甘えん坊猫ちゃんがゴロニャン、ゴロニャンと鳴きながらこちらを覗き込んでいた。が、私は無視しただけだった。間もなく猫は諦めて姿を消した。

 こちらにもやはり洋風のバスタブが設置してあって、お湯はすぐ出て温度調節もちゃんとできるものだったがそれでも正直なところちょっとめんどくさい。お湯につかって体を温めるだけで終わりにした。そしていつも通りあまり遅くならないうちにレスタミン1錠(ドリエルの40%の容量らしい)を服用して寝ようとしたが、ベッドのお布団はとても気持ちがいいのになぜだかさっぱり眠れない。別に特に何かを考えていたわけでもないし、前の晩もあまり眠れなかったのになぜだろう?困るなあ・・と思いつつ朝を迎えた。が、排便は何とかあったので良しとすることにした。睡眠と排便は二大重要課題と言ってよい。

 二日目である4月25日、ちょっと家の外も観察してみようかと思って朝6時20分ごろドアを開けて出てみた。が、散歩するほどの風景ではない、と言うと失礼だが窓の内側から眺めるのは悪くはないが、歩き回るには侘しい。誤解を恐れずに言うと「枯れすすきばかりの庭」のような感じだから。きっとこれは季節がちょっと早いせいだろう。あと半月後だったらきっともっとラブリーな景色になるのだろう。それですぐ家の中に戻ろうとしたのだがそこにふいにあのゴロニャンが稲妻のような速さでどこからか飛び出し駆け寄ってきた。そして私の足にごろごろとまとわりついた。

         裏庭にあったあずまや?とチェア。そしてリビングからの出入り口。

          玄関前の門と前庭。うさぎの親子の置物がかわいい。

          猫にゃんです。私にまとわりついて離れてくれませんでした。

 さあ困った!これでは家に入れない。私がドアを開けたら必ずやこいつは私より先に家に飛び込んでしまう。何とか離れてもらおうと思うがどうにもその方法が見つからない。オーナーさんのところに連れて行けばいいのかもしれないが、まだ6時半だしあまり早く行くのは悪いしなぁ・・・。とはいえいつまでもこんなことをしていたくない。一人でボーッとしている時間には意味があるが、私にとって猫にまとわりつかれている時間は無意味なのでできるだけ早く切り上げたいのだ。それで、えい!と試しにちょっと細くドアをあけて自分の体を滑り込ませることができるかとやってみたが、やはりそんなことはできるわけはなく、当然ながら猫めに中に入り込まれてしまった。

 そして猫は我が物顔に家の中を走り回る。私まで中に入ると更にヤツは調子に乗って好き勝手をするだろうと思ったので私はドアのところに立ったままなんとか猫を家の外に誘導しようと試みたが、何ら名案があるわけではなかった。それで私はとうとうオーナーさんに電話をかけることにした。何かあったらケータイから電話をかけて連絡してくださいと言われていたので。そして私が電話に出て下さった奥様にかくかくしかじかと状況を説明していると、猫はふいにこちらに向かってきて無事にドアから外に出てくれた。やれ、よかった!私は急いで中からドアを閉めた。「出てくれました!お騒がせしました。申し訳ありませんでした。」私はもうチェックアウトの時までドアの外には出ないことにした。多分ゴロニャンは私がかけている電話の先から微かに聞こえるママの声がわかったのだ。「あ、ママに言いつけてる!やばっ!」ということだったのではないかと私は思う。

 朝食は朝八時半に届けて下さると言われていたので楽しみに待っていた。そして丁度八時半に素敵なバスケットに入れられた朝食を持って奥様がやってきた。バスケットがとてもファッショナブルで嬉しかった。中には熱いコーヒーの入ったポットとサンドイッチと広口瓶のような蓋つき容器に入れたヨーグルトをかけたグラノーラとピッチャーに入れたリンゴジュースが入っていた。残念ながら私はグラノーラは食べられないので手を付けずに残させていただいたが、サンドイッチは大変美味しくいただき、リンゴジュースもすっかり飲み干した。コーヒーは驚くことに5.6杯分も入っていた。当然飲みきれないが残すのは勿体ないので2杯だけ飲んであとは持参のペットボトルに詰めて持ち帰ることにした。チェックアウトは最初10:00と聞いていたがもっと遅くてもいいと言われたので11:00にしていただいた。軽井沢駅であまり長い時間つぶしをするのも疲れるし、北軽井沢のバス停付近も時間を潰せるようなところではない。それで私は10:50までしっかりとダラダラしていざチェックアウトに向かった。

           バスケットで運ばれてきた朝ごはん♡   

             私が使った寝室の階段のところ。

        本をいろいろおいてあるリビング。ベッドではないが、寝そべる場所がある。

                 同じ部屋。

 カウンターでお支払いをした後に、図々しいのですが、と私はこのブログの宣伝をしてしまった。すると奥様はとても興味を示して下さって、「では是非うちのことも書いて下さい」とおっしゃった。私は勿論ですとお答えした。帰路はまた昨日と同じようにご主人の運転する車に乗せていただいた。車の中で浅間山の話やこのあたりの気候や植物の話などをいろいろした。早朝の猫事件のこともお話したら、こちらを訪れるお客様がたが皆猫を可愛がって下さって、皆さんが家の中に入れてしまうものだから猫はすっかり自分の家だと思い込んでいるのだということであった。家の中で粗相をしてしまうということはないそうだが、自分がちょっと使わせてもらっているだけの家の中に猫を入れてしまうのはよくないだろうと思っていた。そして私は車の中で今回の1泊2日のことをいろいろと思い出しながら反芻していた。わずかな時間の滞在だったがいろいろな風景がしっかりと記憶にしみ込んだような気がした。北軽井沢で路線バスに乗り換えて軽井沢駅に着いたのは12:00ちょっと過ぎだった。

         バスの窓からやっと写せた浅間山。初めて見てとても感動した。

      軽井沢駅の北口デッキから見えるこの台形の山の丁度真後ろに浅間山が隠れている。

 帰りには蕎麦でも食べてみようと考えていたので私は軽井沢駅北口で昔からあるようなお蕎麦屋さんを探して入ってみた。今時なのでそれなりの値段ではあるだろうなと思っていたのでかけそばでも850円というのを見てやっぱりね、と思った。でもせっかくたまに食べるんだから天ぷらそばにしよう、と1300円を奮発した。そしておそばが運ばれてきたのだが、それを見てちょっと驚いた。海老天一本のほかにかぼちゃとピーマンの天ぷらが載っていたのだ!天丼の上に載っているのはよくあることだが蕎麦屋のそばの上にかぼちゃやピーマンと言うのは初めて見た!経費節約のための苦肉の策だろうか?まあおそばは美味しかったし天ぷらには違いないので悪いわけではない。

                天ぷらそば♡

 帰りの新幹線は15:00発のあさまである。おそばを食べたあとの時間は昨日と同じ南口のショッピングモールで過ごした。そんなことをしているより早く家に帰った方がいいだろうか?と思わないでもないのだがやっぱり一人時間というのは私にとってとても貴重なものなのでできるだけキープしておきたいのだ。でも有効活用は難しい。悩ましいところである。

                     【完】

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