2023年 韓国に行って来ました

紀行文

【台風をよそに・・・】

 韓国に二泊三日で行ってきた。世の顰蹙を買うかもしれないのであまり大きな声では言えないが、晴れ女を標榜する私は台風6号が沖縄、奄美地方に長逗留をして皆をやきもきさせる中、青空持参で予定通り往復してきた。雨に当たったのはほんの一瞬、帰国する日の朝ホテルの玄関を出たら「あれっ?雨が降ってる!」と分かった時。しかし5m先に地下鉄の入り口があり、そのまま地下道に入って一路金浦空港に向かったため影響はなかった。金浦空港では窓の外の雨を眺め、テレビで報道される韓国各地の大変な状況を眺め、出来れば早い便を捕まえて早く帰れという夫からの指令に振り回されるも、結局予定の便にしか乗れないことがわかり、そして夕方予定通りに出発した帰国の便に乗って無事羽田に着いた。そしてもうそこは雨でも何でもなかった、ということである。しかしそのあとのモノレールや京浜東北線は込み合っていてかなりくたびれたことであった。

                 【安・近・短】

 なぜ韓国を今回の旅行先に選んだのかというと、それはまず近いからである。近いから2時間15分のフライトですんで、二泊三日ほどの日程でも楽しめて、あまりお金もかからない。今私には生きているうちに最低限行っておきたいところが二つある。ブータンとスペインにあと一回ずつ行きたいのだ。しかしそれらを実行するためにはいろんな意味でまだ準備が整わないのに、このたび数日間なら海外にでも行けるという状況ができた。家庭の事情をあまり詳しく述べるのも何なので簡単に言えば、八か月前にフィンランドに出かけた時と同じような状況である。今でもコロナが明けたとまでは言えないが、あのころよりもさらに旅行に対する制限が減ってVJWがなくなったり、さらに韓国に入国する時に必要だったQ-CODEやK-ETAも廃止されたりしてあのころよりもさらに海外渡航はしやすくなった。しかし私自身にとっては日程がそう長くとれるわけでもないし、今ヨーロッパまで行って大出費をするのはブータン、スペインという本命に備えるためにも避けたかった。それでも家庭の事情的には「せっかくの機会」(おそらくもう二度とない)を利用しないという手はなく、たとえ「安・近・短」であっても海外に行っておきたかった。それで行けるところは韓国しかなかった。後になってから「台湾でも可能だな」と気づいたが、どちらかというと言葉がわかる方がよかった。私は中国語(北京語)はちょっとかじったことがあるが、好きになれずに学ぶのをやめてしまったのだ。

                 【韓国語学習】

 私は韓国の中に特に行きたい場所があったわけではない。しかし韓国語(ハングル)を学ぶことがちょっと好きだった。それで過去にカルチャーセンターに六年通ってハングルを習った。それでまあまあ旅行用の会話くらいはできるようになった。なぜ 学ぼうと思ったのかと言うと実にくだらない理由があるのだが長くなるのでここでは語らない。(しかし誰かを好きになったとかいう話ではないとは断言しておく。)だから今回韓国には何をしにいったのかというと、何を見に行ったとかいうことではなくて「韓国語を喋りに行った、それから韓国の交通機関を利用するという経験をしに行った。」というのが正確なところである。誰かに連れていってもらっていろいろやってもらうのではなく、自分でいろいろなことができるようになることが楽しいのである。

 その結果旅行会話は80%大丈夫だとわかった。あとの20%は何かというと、早口で話されるとお手上げだということと、たまに覚えていない単語が出てくることである。旅行会話は本当に最低限の会話であって日常会話ではない。私のボキャブラリーではまだまだ日常会話には程遠い。しかし旅行会話は本当に少ないボキャブラリーですむ。「これ(またはそれ・あれ)は何ですか?」「何々はどこですか?」「ありがとう」「大丈夫です」「いくらですか?」「カードでいいですか?」「現金でもいいですか?」「何々を下さい」くらいだろうか。でもそれだけではつまらないのでホテルのフロントで「これからちょっと出かけてきます。部屋に荷物がありますのでそのままにしておいて下さい。お掃除はしていただかなくて大丈夫です」とか言ってみた。あと「夫が早く帰ってこい帰って来いとうるさくて・・・」とか空港のカウンターで言ってみたかったが流石にそれはやめておいた。

              【健康に関する事情】

 出発は羽田から、行先は金浦空港とした。なぜなら成田は行くのに時間がかかり、仁川空港はソウルの中心部から遠いからである。もし成田発仁川行きにしてしまうと半日くらい余分な時間がかかることになる。

 出発日は8月8日(火)朝9:20のフライト。4時起きすれば7:00ごろに羽田に到着できるから大丈夫だと一度考えたが、ふと「待てよ?」と考え直した。私は朝4時に目覚めることは多分できるがそのあといつも二時間ぐらいの体調を整えるための時間を必要とする。はっきり言うとそのあたりは排便タイムなのである。もし朝の排便が何時何分と決まっていて一度だけで済むなら問題はない。しかしそれは全く決まっていないのだ。起床後間もなく出ることは出たとしても一度ではすまない。量が多くても少なくても三回ぐらい、下手をすると五回くらいトイレに呼び出されることはザラである。私の家から大宮駅までは2.4㎞あるが、この間の交通機関は5:50ごろまで動かないので大宮駅に早く着きたい場合には徒歩で行かなくてはならない。徒歩で行く三十分の間、お腹が落ち着かないのははなはだ困るのである。そういうわけで私は奮発して前夜に家を出発して羽田に一泊することにした。空港内によいカプセルホテルがあり2016年にも一度お世話になったことがある。そこまで行ってしまえばトイレに困る心配は全くない。

           【旅のテクニック・ミニマリズム】

 私は旅においてはミニマリストであることを心掛けている。ポリシーのためというだけではなく実利的に考えてみても荷物は少ないほど都合が良い。体力が乏しいので持ち運びやすい方がいいし、物を取り出すときも探しやすいし、次の行動に移りやすく物をなくしにくい。だから今回の私の荷物は普段街歩きに使っているデイバッグ一個と、貴重品入れとして幼稚園児の斜め掛けバッグのようなものだけであった。それと杖。これは折り畳み式にした。(帰路には金浦空港でお土産菓子を買ったので手提げバッグが一つ増えた。)しかしこれでも持って行ったものの半分くらいは使わずにすんだ。着ていた衣類はホテルに入ると直ちに洗濯をしてタオルドライにしてそれは夜か朝までに乾いて繰り返し使えたし、韓国語の動詞形容詞の活用ブックを持って行ったのを一、二回使いはしたがなくても何とかなった気がする。前述したが使う言葉は本当に限られているし「えーっと、何て言うんだっけ?」と思っても代用できる言葉をひねり出せることが多かった。

 ただ少ない荷物で安全に快適に海外旅行をするにはコツがある。まず航空会社はできれば日本の、そうでなくても大手の航空会社の正規チケットを買うのが安心だと思う。機内のサービスもよいし、トラブルが起こった時も丁寧に対応してくれると聞く。それからホテルも日系のところだと安心である。朝食が付くところならばなお良い。海外の初めての土地だとちょっと食べ物を手に入れるのも大変なことがある。冒険心旺盛な方にとっては余計なお世話であろうが。それに現地の言葉や英語で大丈夫と思ってもいざという時に日本語のわかる人がいる可能性が高い方が安心である。

            【羽田を出発】

 さて8月7日の夜は羽田第一ターミナル内のカプセルホテルに泊まった私は翌朝すぐ目の前から出るバスで国際線のある第三ターミナルに向かった。

 懐かしの羽田空港であった。しかし旅行に対する制限がほとんどなくなったせいでかかなりの混雑ぶりである。台風6号が心配だといっても実際全く動きの予想がつかないヤツのことを心配して 旅行そのものをやめるのは誰でも嫌だろう。要はもし台風に遭遇してしまったら予定の飛行機が飛ばなくてせいぜい一日か二日足止めを食らうだけだろう。そこは大手の航空会社なのだから(今回は出発時間の都合でJALでもANAでもなく大韓航空)危ない時にわざわざ飛行してみすみす墜落なんてやらかさないだろう。テロや何かに遭うとしたらそれはもう運の問題で旅行をしたせいでも飛行機に 乗ったせいでもない。自宅付近を歩いていたって何か起こる時には起こるものだと思う。・・・と、私だけではなく旅行者たちはみな同じようなことを考えているのかな・だからこんなに旅をする人が多いんだよね。混雑の中、私はそんなことを考えながら手順通りにチェックインや外貨交換を済ませた。

             【杖のマジック?みんな親切】

 まだ搭乗までの時間は一時間以上あるが早いところ税関のゲートを通過してしまおうと考えたがそれには100mもありそうな長い行列に並ばなくてはならなかった。やっと最後尾を見つけ出して並ぶ。それでも列は順調に前進して半分くらいの位置まで進行したところ、ふいに空港スタッフらしき方が現れた。そして杖を持参していた私に目をとめ「どうぞこちらへ」と案内してくれたのが最前列のゲート前。いや、それは大変申し訳ないことであった。周囲の方々が「何だよ・・・」と思っているんじゃないかという気がした。私は一年ほど前に膝の関節がもう大部くたびれていることがわかり、自転車はノロノロと乗れるが100m以上の歩行をするときには杖を持参することにしている。膝が痛んで歩けないという事態が起こりそうで怖いからである。が、杖をついて歩けばまず大丈夫である。

 それだけのことなのだが杖を持っているだけで、外に出ると皆がものすごく親切にして下さる。街中でも電車内でもそうだし空港でもそうだ。出国審査が済んで出発ゲートまでの通路をポクポク歩いているとインド系のような外国人のスタッフさんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。「大丈夫です!」と笑顔で答えた。韓国に着いてからも同じような感じだった。特に地下鉄の駅の切符売り場や改札付近には必ずと言っていいほどシルバーボランティアのようなご年配の案内人の方々が待機しているのだがその方々が男性だと積極的に声をかけて手助けしようとして下さる。(外国人に対応するためにいらっしゃるようである。)女性の案内人の方は積極的に近づいてくるわけではないが、こちらが何か尋ねれば丁寧に教えて下さる。それから空港から地下鉄駅に向かう通路には無料で乗せてもらえるカートがあったりするが、それに「乗りなさい」と声をかけられたこともあった。いや、それほどのことではないから「大丈夫です。ありがとう。」と応じた。だから韓国で私が一番多く発した言葉は「クェンチャナヨ(大丈夫です)」と「コマウォヨ」または「カムサハムニダ」(ありがとう)だったと思う。

               【機内食がおいしい】

 フライトは二時間ちょっとだったし昼前に到着する予定だったので機内ではドリンクとスナックが出る程度だろうと思っていたらしっかり機内食が出たので驚いた。10:00頃だったからブランチといったところか。ご飯とラタトゥイユとサラダとカットフルーツとロールパンとドリンク。食べやすい味だったので完食してしまった。私はいつも機内食は量が多すぎて完食はできないのだが今回は量が少なめだったのだろう。ラタトゥイユはやや薄味だったので付属のコチュジャンをつけてみたら辛すぎることはなく美味しく食べられた。

           行きの機内食・ラタトゥイユその他

 そのせいで昼食が不要となった。私は韓国料理に対してやや苦手意識があったので昼食はココイチにでも行ってみようと思って(実は日本でもまだココイチに行ってみたことがない)場所を調べてあったのだが行く必要がなくなったので、直接東大門(トンデムン)付近に予約してあった「東横イン」のホテルに向かった。親切な案内人の方々に助けられながら、金浦空港から地下道で続いている空港鉄道や地下鉄の乗り場付近のコンビニで日本のスイカやパスモのような交通カード(T-カード)を買い、チャージをし、空港鉄道と地下鉄二本を乗り継いでホテルの最寄りの駅まで行った。ホテルはそこからごく近いはずだったのだが、出口を間違えたためかなりホテルから遠いわかりにくいところに出てしまってそのあと少し難儀をした。

                  【鉄道と地下鉄】

 昼前に金浦空港に着いて入国審査に多少の時間がかかったとはいえ、そのまま真っ直ぐホテルに向かったのにホテルにたどり着いたのは15:00ごろであった。金浦空港からソウル駅まで空港鉄道で5駅、ソウル駅から東大門駅まで地下鉄1号線で5駅、東大門駅から地下鉄4号線で「東大門歴史文化公園」駅まで1駅であり、私が予約した「東横イン東大門2」はその駅のすぐそばということであった。

 金浦空港で入国審査の行列に並んでいた時間が少しあるとはいえ、そんなに時間がかかってしまったのは地下鉄などの乗車時間が長かったのではなくて各乗り場間の通路がかなり長かったせいだと思う。「あれ?こっちでいいのかな。」と立ち止まることも多かったしエスカレーターがなくて階段だけだったりエレベーターがあってもすぐ来ないこともあった。それでも前述のように要所要所に案内人の方々がいらっしゃったので本当に迷ってしまうことはなかった。

                 【ホテル東横イン】

 出発前にユーチューブで見たある動画で「東横インのクォリティは世界中どこでも全く同じ」と言っていたのでそれなら安心かも、と思って決めたのが「東横INNソウル東大門2」である(これが正式名称)。そこに私は15:00ごろ着いたが地下鉄の出口を間違えて15分くらい暑い中をうろついたので汗だくの状態であった。やっと着いた着いた、ここだー!と一息つく。フロントでは受付をしてくれたがチェックインは16:00からだということでしばらくロビーで待たせてもらった。ロビーと言っても食事用の長いテーブルと椅子がまるで学生食堂か社員食堂のような感じでずらっと並んでいる。そこは朝食時の食堂として使われる場所であった。あとの様子は普通のビジネスホテルといった感じであった。

 私の部屋は5階にあった。部屋の中にはダブルベッドとテレビと机と大きな鏡とバスルームがあった。テレビは問題なくついたが(ホテルによってはどうやってつけるのかわからなかったことがある。フィンランドで泊まったところではリモコンの電池が切れていてフロントに行ったら取り換えに来てくれた。)なぜか一局しか出なかった。あとはどのチャンネルにしてみてもジージー状態。まさか韓国にはテレビ局が一つしかないということはないだろうが、でもその一局が軽い楽しい番組ばかりを流していたので部屋にいて起きている間ずーっと見ていた。お笑いタレント風の人たちが旅レポや食レポをしたり、発達障害の子供の育て方を皆で考えるというようなちょっと重いテーマではあるものの専門家も交えて子供の両親とタレントさんが気軽な座談会風に語り合っているという番組もあった。日本だったらばそういう番組は30分くらいで終わらせると思うがそれは二時間くらいの長さだった。他の番組の持ち時間もみんな日本の同じような番組よりも長いなと思った。どういう設定なのかわからないファンタジーか?と思うようなメロドラマ風のドラマもあって、これも長かった。退屈したがハングルの聞き取り練習だと思ってずっと見ていた。言葉はもちろんわからないところもあったのだが映像や雰囲気でだいたい何をいっているのかわかる気がした。しかしドラマの設定や背景は理解できなかった。

 あと驚いたのが充電システムだった。私は旅立つ前に携帯用充電器を買い、C型プラグも持って行ったのだがどちらも全く必要なかった。部屋にはプラグなしで直に機器をコードでつなげる穴が付いていた。まあ充電器が不要だったというのは私がホテルでの充電だけで間に合うくらいしかスマホを利用しなかったからなのだが。

                 【食事について】

 私は実は韓国料理があまり得意ではない。好きなのはチヂミと冷麺とチゲくらいなものである。コチュジャンは辛すぎるしあの甘みもいらない。あっさり醤油味の方が好きだしキㇺパㇷ゚も酢飯じゃないのが残念だしあそこにゴマとか入っていなくてもよい、と思ってしまう。それに外食したとき量が多すぎると困るという心配もあるのでせっかく韓国に来てまで?とも思ったが一日目の昼食としてココイチを、二日目はクㇰス(うどんのようなもの)でも食べてみようかと考え、そして三日目の昼食にはケンタッキーをマークしておいた。しかし前述のように一日目の昼食は機内食で済んでしまいココイチを訪ねる必要がなくなった。それでも夕食は必要なので、それについてはホテルに着いてから近所の様子を見て回って考えようと思っていた。

 ホテルの部屋でちょっと休んだ後、私は外に出てみた。そのころ日本では猛暑の日々が続き日中はいつも38℃前後という感じであったが韓国ソウルもなかなか暑かった。午後3時~5時ごろで35℃くらいの感じだった。だからあまり長く歩きたくはなく、近所で何かないかと探したら幸いすぐにサブウェイの店を見つけた。そしてそこでサンドイッチを一つ作ってもらい缶入りのコーラも買ったのだが、参ったのはそこのスタッフのお姉さんが超~早口で全く言葉が聞き取れなかったことである。あれでは例え韓国人であっても老人には聞き取れないのではないか? 私がそこまで年寄りには見えなかったのかもしれないが、ちょっと見れば外国人だということはわかるだろうにもう少しゆっくり喋ってくれるという気にはならないものか?あ、そういう時のセリフもあったっけ。「チョムドチョンチョニマレジュセヨ?(もっとゆっくり話して下さいな。)」その時はあっけにとられてしまって思い出さなかったのだ。残念だった。

 ともかく何とか買い物をすませてホテルの部屋に戻った。そして6:00㏘ごろさて夕食、と包みを開けたのだったがここでまたちょっと困ってしまった。そのサンドイッチの具が多すぎてパンが殆ど埋もれてしまうくらいの状態である。野菜は細かいしオーロラソースがかかっているし、さてどうやって食べようかと思いあぐねた。私はその時不幸にも箸もフォークもスプーンも持ち合わせていなかった。そこまで考えが及ばなかったのである。もしも機内食が食べきれなくてあとで食べようと思って付属のプラスチック製のフォークなどを持ち出していればそれが使えたのだが生憎その日の機内食は完食していたし、そうでなくてもその時のカトラリーは金属製だったのでこれは持ち出すわけにはいかない。私はそれでもいろいろと頭をひねり、手持ちの菓子のパッケージなどでスプーンの形状のものが作れないかと挑戦してみたがうまくいかず、結局パン入りのサラダ状態のものを少しずつ指でつまんで食べてはティッシュで指を拭き、またつまんで口に入れては指を拭きしながら何とか食べ終えた。後でその話を義姉にしたら、「常にマイ箸は携帯すべきである」と言われた。

            パンが負けてしまう具の多さ    

           【春川(チュンチョン)に行く】

 二日目の8月9日(水)には予定通りソウルの北東70㎞ほどのところにある春川という町まで行ってきた。かの有名な「冬のソナタ」の舞台となった町である。と言っても私はそこが冬ソナの舞台だったから行こうと思ったわけではなくて韓国に行ったらソウルのような大都会だけではなくもっと景色のよい静かなところに行ってみたいと思っていて、そこが距離的に手ごろで交通の便も悪くなさそうだと思ったからである。台風6号はまだ奄美大島あたりでのんびりしておりソウルはその日も快晴だった。

          二日目の朝食

 朝7:00過ぎに例のロビー兼食堂で朝食をいただいて7:30ごろホテルを出発した。フロントで「ちょっと外出して来ますので・・」のセリフを言ったのはこの時であった。そして前日に体験してわかっていたので私は迷わずに「東大門歴史文化公園」から昨日通過した「東大門」まで戻った。そしてそこから乗り換えて今度はソウルとは反対の方向に行くのである。つまり「下り」ということだ。「東大門」から4つ目に清涼里(チョンニャン二)というところがある。ここでITX青春線(チョンチュンソン)という電車に乗り換えるのである。そして1時間20分くらいで春川に着くが、私はトイレに行きたくなったので一つ手前の南春川(ナㇺチュンチョン)駅で降りた。そしてそこでトイレを済ませたりT-カードに少しチャージをしたりした後、線路沿いに終点の春川駅に向かって歩き出した。線路は高架になっていてその下に歩道があるのでほぼ日陰の道を歩ける。そのせいもあってか風がそよそよしてわりと気持ちが良かった。気温は32℃ぐらいか?という感じだった。周囲の風景は日本と同じようでもありどことなく違うようでもあった。そんなに大きな違いはないということだ。日本国内だけを移動したって風景は変わるし同じ規模の街同士だっていろいろ違うところはある。その程度の違いしか感じられなかった。

         南春川駅を出たところ。春川方面に歩き始める。

 しかし一つだけ大きな違いを感じた。電車の車窓からでも線路沿いを歩きながらでも時々見られるのだが遠景に山々があるような場所、つまり郊外というか田舎の風景の中にニョキッ、ニョキッと高層マンションが建っている。そしてそれがとても目立つ。マンションの高さが、というのもそうなのだがその形状が、である。

 日本のマンションは主に住宅がびっしりと立ち並んだ市街地にあるが、こちらのマンションはあまり戸建て住宅の建っていない地域にもニョキッ、ニョキッと建っている。そしてそのマンションのデザインが何だか日本のものと違うのである。うまく説明できないが、何だか目立つというか(大きさや高さがではなくデザイン的に)やや違和感さえ覚える。私は建築に関する知識は全くないので説明が難しいのだが、日本のマンション群の方がいかに大きな建物であっても周囲の風景に溶け込んでいる気がする。

               たまに見る古い民家

             春川駅。柱にそう書いてある。

 風景的に違うといえばそのくらいだがある程度知名度のある街のわりには住民が少なそうだ、と思った。ソウルと春川の方角的な位置関係は、距離はかなり違うが東京と宇都宮くらいの感じだと思う。しかし春川の駅付近の雰囲気はローカルでよその方にはわからない表現で申し訳ないが、さいたま市の大宮駅から出ている「ニューシャトル」という小さな鉄道の終点ぐらいの感じである。

 そういう例えをしていて思い出したが朝鮮半島は現在南北に分断されている。そしてその南と北との境界線は日本に例えるとまさに栃木県と福島県の県境あたりといった感じだ。たしかにもし78年前、運が悪ければ日本もアメリカとソ連によって真っ二つに分けられていたかもしれない状態だった。東北地方以北が「北」ということにされていたとしたら仙台か盛岡が平壌に該当するということになる。もしソ連が北海道だけを取ったら首都は札幌になることだろうが考えるとぞっとした。私は岩手県の生まれであるからもしも日本が南北に分断されていたら私は「北」日本の住民だったわけで簡単に「南」の地方に 移動することはできなくなっていたのだ。でも例えそうであったとしても現在北朝鮮を支配している金一族のような人々が出てくるとは思えないが。

 さて私が下車した「南春川」の駅付近もそこから散歩がてら3㎞ほどゆっくり歩いて着いた「春川」付近も人影は疎らであった。観光客らしい人たちは少しいた。欧米人の人々もいた。ここまで観光に着たら普通は近くの昭陽江(ソヤンガン)とか昭陽湖(ソヤンホ)とかを見に行くものだろう。私も初めはそのつもりだったのだが暑かったのでコロッと気が変わってしまった。初めに考えていたクㇰスの店も「もしかしてあれ?」と思えるようなところがあったがちょっと一人で入りやすいような雰囲気には思えなかったのでさらっとパスしてしまった。そしてたどり着いた春川駅のそばに綺麗なカフェがあったので私はそこで昼食をとることにした。そしてもうそれだけで引き返してもいいや、と思った。このように私はわりと簡単に初めの予定を取りやめてしまうところがある。まあ、無理はしないということだ。そしてこれは一人だから気楽にできることである。誰かと一緒だったらむしろ予定通りにいかないことを強く悔んだりしそうな気がする。

 カフェでは「クロックムッシュ」とクリームラテを頼んだ。日本円にして1000円くらい。クロックムッシュはチーズとハムを食パンの間にはさむだけではなくさらにその上にチーズをのせてトーストしてあった。クリームラテはかなりサイズが大きいこともあったが甘みが強めで飲みきれなかった。クロックムッシュのパンにはがぶりついたわけではなくナイフとフォークを使ってゆっくり食べていたのだが歯のかぶせ物が外れそうな感じになり焦った。(何とかそのままキープして、帰国してから歯科に駆け込んだ。ギリギリお盆休み前でよかった。)そのあとは同じ電車でソウル、東大門のホテルまで引き返したのだが、その前に夕食用に「イングリッシュマフィン」というのを包んでもらった。やはりチーズとハムが入っていて日本円にして400円くらいだった。

 ところで韓国でも北欧と同じで買い物の際の支払いはカードで行うことが一般的になっている。現金が使えないというわけではないが価格の数字が大きいので手持ちのコインが数百ウォンだったり逆に5万ウォン札しかない、とかだったりするとちょっと不便である。だから私はこのカフェで食事やイングリッシュマフィンはカードで支払ったが手元にあって使いにくい小銭を早く始末してしまおうと思って追加で1100ウォンの水を買った。でも200ウォンだけ残ってしまった。これは日本円にすると20円くらいだからどうということはないが、両替所で両替してもらうことはできない。

           クーラーの効いた待合室

       電車の中。座席が日本の座席より硬いというのは本当だった。

 春川駅から引き返し、ホテルに戻ったのは14:30くらいだった。電車に乗りながら停車する駅の名前を確認していると「あれ?来た時と違う。」という気がした。「違う線を走っているのか?」と。でも見覚えのある駅も出てくる。よく調べてみると往路は快速のようなものだったらしく停まる駅が少なかったが帰りは各駅停車で全駅に停まっていたというわけだった。日本ではありふれたことだがそれを外国で体験するとなぜか新鮮な感じがするものだ。

               【たびレジに登録したら・・】

 ところで海外旅行をする際には数か月前まではコロナ対策の一環として日本に入国するにはVJWとか韓国に入国する際にはQ-CODEとかいろいろ面倒な手続きがあったのだがそれらはもう全て撤廃されていた。しかしそれとは別に、政府が海外旅行者に危険情報を送ってくれる「たびレジ」というアプリがあって、それは義務ではないが是非登録するようにと旅行会社から推奨されていたので頑張って登録してみたのだがこのせいでひどい目にあった。

 私が韓国に出かけた丁度そのころ台風6号が沖縄奄美あたりでウロウロしていたのでそれに対する注意報がびんびん届けられることになったのである。それもかなり大雑把な「可能性がある」という情報で、確かに間違いではないが「わかってるよ!うるさいなあ。」と言いたくなるようなものであった。それはまるで日本の地震警報アラートのような音量で不定期に1~2時間おきに届く。電車の中にいる時でも食事中でも夜寝ていてもである。ハングルの文章で届くので読むのに時間がかかるがその内容は「台風6号が近づいているので注意して下さい。大きな被害が予想されます。危険な場合は直ちに避難して下さい。」というようなことだ。そんなことはわかっているのだが、だから今どうしろというのか?現在ここは晴天ドピーカンだし、今いるのは電車の中だったり地下道の中だったりあるいは少々の風で飛ぶとは思えないホテルの中だ。はっきり言って全く役にたたないサービスであった。しかもうるさい!!昼間ならまだしも深夜就寝中にも遠慮なく鳴る。おかげで眠れなかった。たまりかねてスマホの電源を切った。日本の地震アラートはそれでも鳴るのだが、それは幸い電源を切っている時には鳴らなかった。それで私は翌朝以降になってもなるべくスマホの電源をオフにしていたが、その警報は韓国を出国するまで空港の中にいても届き続けた。うるさいばかりで役にたたないこのアプリ、もう次に海外に行く時には使うのをやめよう。本当に危険な事態が起こる時って警報が届くより先に自分が遭遇しているのではないかと思う。そうでなければ飛行機や電車が止まっているか日本のニュースで報道されてそれを夫が伝えてくれるか、になると思う。

               【帰国の日】

 三日目となる8月10日(木)の朝、窓の外を時折チェックしてみてもまだ風が吹いているかさえはっきりわからなかったし雨もまだ降っていないように見えた。しかし前日と同じように7:00に朝食をいただいて7:30ごろホテルの外に出た時に雨が降り始めたことを知った。しかし幸い5m先に地下鉄の入り口があったため、私はそれ以来一度も雨に濡れることなく帰国を果たした。

三日目の朝食。前日お粥があるのを見て食べてみようとご飯を取らなかったら今日はコーンスープだった。

当初の予定ではその日は昼過ぎまで近隣の観光をしても大丈夫、というつもりだったのだが台風6号が10日には間違いなく韓国に到達するというので、夫から一刻も早く帰れとの指令が来ていたのである。流石に二泊の予定を一泊にするとまでの必要はないと思ったが、それでも帰国日午前中の観光はやめて朝食後すぐに空港に向かって台風の状況や飛行機の運行状況をうかがっている方がいいだろうなと考えた。そして可能ならば夫の言うように予定の16:00過ぎの便ではなくもっと早い便に変更した方がいいかなと思った。しかし結果を言えば9:00に空港に着いた(地下鉄などに慣れたせいで移動が速かった)私はあれやこれやと送られてくる夫からの指示に振り回されてアタフタしたが、結局他会社の便への振り替えはできなかったし予定の便をキャンセルして他の便の新券を買うこともできないと言われて予定通りの便に乗るしか方法がなかった。そして幸いにも予定の便は欠航にもならず遅れもせず予定通りに飛んで羽田までの快適な旅を提供してくれたのだった。金浦空港には7時間ほどいたことになるがさほど退屈はしなかった。結構何やかやで動いていたし。

      金浦空港の一角で台風報道関係のテレビロケをやっていた。

ちなみに金浦空港というところはかなり小さくまとまった感じの空港で、でも必要なものはちゃんとあり、内装もいい感じだったし清潔さという点でも問題はなかった。待合所の近くにちょっとゴージャスなパン屋さんがあったので昼食用のものを買ってみたが、サンドイッチ類は日本のパン屋さんで売っているものより具が多くデコラティブな気がした。値段はまあそれなりに高かったがこういう店としてはどこでもそんなものだろうなと思った。そういえば初日の夕方に行ったサブウェイのサンドイッチも具の盛り具合がとてもよかったし、二日目のカフェの「クロックムッシュ」もハムとチーズが挟んであるだけではなくその上からトロトロチーズがトッピングされていたから韓国のサンドイッチはゴージャスに盛る傾向があるのかもしれない。

         帰りの機内食・絶品のシーフードパスタその他

帰りの飛行機の中で出た機内食はシーフードパスタがメインでこれまた絶品であった。大きなシュリンプや柔らかいイカがたっぷり入っていてレストランにも負けない味であり、私は貪るように食べつくしてしまった。そしてもう一つラッキーだったことは、私の座席は窓際の隣の通路側の席、すなわち二席並びの通路側だったのだがその隣の窓際の席には誰も乗ってこなかったので一人で座っていられたことである。他の席はほとんど埋まっていたのにこれは非常にラッキーだったのだと思った。おかげで美味しい食事をいただいた後ゆっくり食後の休憩ができたと思ったら、何やら「ピン、ピン」という音がする。異常事態か?と思ったら着陸準備のお知らせであった。「え?もう?」という気分だった。新幹線に二時間乗るよりも短く感じられるようなフライトだった。

            もうすぐ羽田着。快適な旅であった。

 羽田に到着した後の方が苦行であった。夕食は機内で済んでしまったので水分補給にお茶だけ買ってモノレールに乗ったがかなり混んでいて疲れがどっと出てきた。何しろ前夜たびレジのせいでほとんど眠ってなかったからなあ・・・。浜松町から乗った京浜東北線も混んでいた。平日の帰宅時間だから 無理もないが。それで浦和あたりまで座れなかった。空港職員の方に笑われるほど軽装備で行ったのに、ただ金浦空港で買ったお土産のクッキーを入れた袋と羽田で買った500mlのお茶のペットボトルが増えただけなのにそれが重くて辛かった。帰宅したのは19:00過ぎだった。

              【簡単なまとめと感想】

 私は以前からUチューブなどで韓国についての「残念なところ」をいろいろ聞いていたので「本当にそうか?」とちょっと構えて見ていたところがあるのだが、実際に行ってみて思ったのは「特にそんな場面には出会わなかったなぁ」ということだ。人々は普通に親切だし、そこらへんが汚いということもない。地下鉄に乗るまでの通路があまり現代的でないところもあったのは、それは路線が古いからだし(日本だって階段しかないところはある)ふと気が付くと街路の歩道にたばこの吸い殻が沢山落ちて踏みつぶされているところもあったが、私は普段そういうことに気を付けながら歩いていないので日本にそういうところが全くないかどうかはわからない。

 電車に乗る時にはちゃんと皆並んで乗車しているし(細かく見れば降りる人があと一人くらい残っているうちに乗車を始めている感じではある)私が杖を持っていれば席を譲ってくれるし明らかに相手に方がご老体なのにこちらが席を譲ろうとすれば固辞された。

 あと日本人の方がオシャレか?とかファッションとか服装については普通で同じような感じに見えた。まあ私は明洞(ミョンドン)とか弘大(ホンデ)のようなところには行っていないから韓国のファッショナブルなところは見ていないわけだ。だからなんとも言えない。

 それから電車の中で居眠りをするのは日本人だけだと聞いたが韓国でも寝ている人は見た。春川への行き帰りの 電車の中だから、都心の地下鉄の中、とかではなかったが。

 でも一つだけはっきり日本人と違うと思ったのは、あちらのお子様方は空港とかで待っている時確かにじっとしてはいられないらしい。親の目の届く範囲ではあるが、たいがいうごきまわったり親にじゃれついたりしている。親御さんの方も「子供はそういうものだ」と思っているようでよほど暴れるとか叫ぶとかしないかぎり特に注意はしないようである。そして方や非常に対照的なお子様連れの多分日本人を見た。楚々とした感じのお母さんがお利口そうな子供さんたちを4人連れていた。4歳から10歳くらいの感じであった。おそらくご主人も近くにいらしたのであろうが皆とてもおとなしくしていた。まあそこまでおとなしい兄弟姉妹たちというのは日本人の中でもそうしばしば見られるわけではないが、うちの子供たちはやんちゃな方であったので非常に羨ましいことであった。

 以上が私の短い韓国旅行の記録である。

                  【完】

          

  

 

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