
初冬 日帰り 京都 (2023年12月6日(水))
「そうだ、京都に行こう!」とある日ふいに考えた。私は来年中までにスペインにイベリア航空のマドリード直行便で行くこととブータンに行くことを希望しているのだが、なぜか前者はなかなか再開しないし後者は前からいつもお世話になってい旅行会社に問い合わせても一度は連絡がついたもののその後なかなか返事をよこさない。でも万が一どちらも駄目だった場合にどうするかということは来年になってから考えることにした。とにかく私の今年やらなくてはならなかった雑事はほぼ片付いたので、残りの一か月の間にどこかに行きたい。その目的地として京都は最適だ。なぜなら日本人たるもの一生に一度くらいは京都という所を見に行っておかねばならない。え?修学旅行などで行かなかったかと?確かに私は55年も前に中学の修学旅行で奈良、京都に行くには行ったがあんなもの行ったうちには入らない。なぜなら当時の私は京都や奈良に対しての興味は何もなく、行った場所も京都は二条城と新京極、奈良は奈良公園と若草山くらいしか覚えていないし面白くも何ともなかった。さらに私は当時は今でいう「陰キャ」な子だったので友達とキャピキャピしていたわけでもない。といっても「修学旅行なんか行きたくなかった」というわけでもない。家や学校から離れられる非日常な行事が楽しかったことは事実である。
そういうわけなので修学旅行のことは私の京都旅行の経験としてはカウントしない。だからこの度は私の実質初めての京都旅行なのだ。日時は12月6日(水)にした。この日は夫が在宅なので、股関節の治療が終わって只今就活中の娘の動向がどうであろうが私がどんなに早立ち遅帰りをしようがどうにでもなる。勿論どちらかに熱でも出されたら予定変更をしなくてはならないが、そうだとしても海外に行く場合に比べれば何倍も面倒が少ない。
2023年12月6日(水)、何とか問題なくその日がやってきた。4:00起床、5:25出発。ニューシャトルの始発で大宮駅まで行き、そこから湘南新宿ラインで赤羽まで行き、そこで上野東京ラインに乗り換えて東京駅まで行く。それが一番東京駅まで早く着く方法のようだった。東京発大阪行きの新幹線のぞみは7:09出発。発車を待ちかねての朝食は家から持参した安いパンケーキとインスタントカフェオレである。節約メニューであるがとても食べやすくてよかった。

発車後すぐに朝食。左上の青い袋には野菜チップを入れてある。
京都までは二時間ちょっとである。車内はわりとゆったりしていたし、精一杯楽しまなくちゃと思った。私はせっかく京都に行くのであるから今一番気に入っている着物で来た。去年秩父まで行って仕入れてきた秩父銘仙の着物と羽織である。といってもリサイクル品である。色柄はとても気に入っているのだが羽織はなぜか袖丈が昔風に長いのに袖幅がとても狭かった。身幅は普通だったので子供用だったというわけではないはずだ。それで縫い直した。その羽織に一番合うと思った着物はこれまた袖丈がやたら短かった。これも縫い直したが時間がなかったので大変雑にやってしまった。でも途中で羽織を脱ぐことはないだろうと思うので大丈夫である。バッグや小物もそれに合わせて手持ちのものをセレクトし、心弾むつかの間の一人時間が始まった。

私の膝回り

身支度一式
車窓の景色も楽しんだ。富士山も見て富士川、安倍川、天竜川も見て浜名湖も見た。しかし私は写真を撮るのが下手くそである。せっかくの美景も私の脳内だけにしかとどめることはできなかった。そして京都に着く直前に琵琶湖が見えるかと思っていたのだが見えなかった。線路がそういう風に走っていないのだろうか?

富士山が見える

浜名湖の端っこ?
9:21京都着。トイレに行ってから地下鉄乗り場に向かう。バスは混んで大変だから使うなと夫が言うので、それではちょっと不便かもしれないがゲーム気分で地下鉄で行ってみるかと考えて地下鉄一日券800円也を購入する。そして地下鉄烏丸線と東西線を使って三条京阪へ。地下鉄の「三条京阪」で降りてまずは平安神宮に向かう。
初めて歩く京都の街路である。(中学の修学旅行の時は全部バス移動であった。)こういうところなのかぁ。他の都市の街路にもこんな風なところがありそうな気もするし、何か他のところと 違うような気もする。そして今のところ周囲には外国人観光客らしい方々はそんなには見当たらない。ほとんど日本人の、しかも観光客ではなくて近隣の場所から所用で来ている方々に見える。

平安神宮に向かう道


平安神宮に到着

10:50ごろに平安神宮に着く。縁日のように出店が沢山並んでいてそのあたりにはお客がけっこういるが、お社付近にはほとんど人がいない。だからちゃんとお参りをしてくればよかったのに何となく省略してしまった。あんまり人が少ない状態の場所だと目立っていやだなと感じたからかも・・・そしてむしろ今のうちに食事をしてしまおうと思った。平安神宮のすぐそばにあるお店で茶そばをいただいた。ここは少し前にあるユーチューブ動画で知ったお店である。それはある若いウクライナ人女性のユーチューバーさんが日本人のご主人と一緒に日本のあちこちを訪れて、非常に的を得た情報を盛り込みながらどれも20分程度にまとめ上げた動画を発信して下さっているものである。彼女はまだ二十代前半で、同い年くらいのご主人と知り合って日本に来てからまだ5.6年らしいのに非常に流ちょうな日本語を話し、日本人でもあまり知らないような地理的、歴史的事実をよく学んでいらして大変に博識である。そしてその彼女が紹介していたお店なので是非行ってみたくなりあらかじめ調べておいたのですぐに見つけることができた。

まだ11:00ごろだしたくさん食べすぎても困るので茶そばだけいただいた。それは勿論とても美味しかったがつゆの量が何だか少なく、つゆの味は私がなじんでいる味よりかなり薄かった。こういうのが京都風なのかなと思った。
そのあと私は徒歩で八坂神社に向かった。途中知恩院のそばを通ったがあまりあちこちに寄ると時間が足りなくなるので門の前を通過しながら散歩を楽しむだけにした。前述の通り私はとっておきの(高級品ではないが)着物で来ているので、杖もついているがただ歩いているだけでテンションマックスである。その着物の色柄は知らない人から見たらかなり渋いと思うだろう。白髪の婆さんだから地味な物を着ているんだな、もっと明るい色を着たらいいのに、とか思われるかもしれないがそういう人には所詮わからないだろうなぁと私は心の中でニヤついている。そうじゃないのよ~♡私にとってはこれがぴったりなのよ~♡

知恩院に差し掛かる前、とても立派な大樹を見た。

ああ、ここが知恩院なんだ、と思ったが・・・

こちらが正門のようです。
京都という場所柄、観光客はかなり多いだろうと思っていた。紅葉は盛りを過ぎたはずだがそれでもそれなりに観光客は多いだろう。外国人客は特に多いだろう。そしてかなりの人々がレンタル着物を楽しんでいるのだろう。私のような者が日常的に着物を着たり着物で外出したりするのを見て「目立ちたがりなのかい」と思う人も一定数存在するようだが、外国人でも着物を着ているのに日本人が着物を着て何が悪い?!と思う。そりゃ、着たくない人は着なくてもよいがほんの50年ほど前までは日本中のかなりの人が体を締め付けないから楽な日常着、かなり合理的に着回せるお洒落着として着ていたものを、(すでに洋服というものが西洋から入ってきてから100年ほども経っていたにもかかわらず)多分工場で大量生産出来るゆえに安く手軽に買える種類の服が出回るようになったせいで駆逐されてしまっただけなのに、時代遅れだから着るのをやめろと言うのか。そんなふうに義憤にかられながら気負って着ているところのある私だが、一方ちょっと意地悪な嫌な性格も有している。楽しんで着物を着ていると言いながら、心の中で密かに「着物警察」をやりに来ているのだ。
はっきり言ってレンタル着物を利用して楽しんでいる方々の半分以上はコスプレだな、と思う。外国人でも日本人でも。いわば日本人の小さな女の子がお姫様のドレスに憧れるのと同じ。だからパッと見で美しく見えるなら素材がどうであれ仕立てがどうであれかまわない。化繊の裏地で作ってあってレースやスパンコールでもついていたら更に大喜びだろう・・・というのは流石に言い過ぎで失礼かな。でも12月だというのに夏物みたいな薄いのを着ているし帯を花のように美しく結んでもらって嬉しくてならないのだろうが、この季節なら外出時には上から羽織とかコートなどを着るものなのだ。舞妓さんや芸妓さんや料亭や旅館で働いている方々は着てないがそれはお仕事中だからだ。一般の人が外出する時には、夏と言われる季節以外には例えばスーツを着た時に上着を着ないのはラフすぎる。薄手のワンピースを着ている時も何か上着かカーディガンを羽織った方がいい。そういうことだ。確かに着なくても寒くないかもしれないが着物の文化は季節感を大事にするものなのだ。だから10月や4月ごろならまだいいが、12月にもなって夏のような恰好はやめて~と思う。
一人だと自分のペースで歩けるのでそんなに疲れない。そして私は八坂神社に着いた。八坂神社はそれまでのところとは大違いでかなりの人出であった。外国人観光客は勿論多かったし日本人の高校生らしい集団もいた。それでびっくりしたのはこの若者たちが皆揃いの、といっても色柄は様々だがそれでも一度に大量生産したのが丸わかりの着物を着ていたことだ。そしてそれはまるで旅館の湯上り用の浴衣のような着姿だった。勿論浴衣ではないだろう。生地は多分化繊で単衣仕立てだろう。確かにこの日は暖かで若者ならTシャツ一枚でもそんなに寒くはなかったかもしれないが、それでも12月に着る着物ではない。恐らく学校側は生徒たちに一度くらいは着物を着て外を歩く体験をさせたかったのだろう。そしてそのためにはそんな細かいことをとやかく言ってほしくはないところだろうが、でも外国人がちょっと着てみるだけというのと同じに考えるのはどうかなあ、と思う。着物というのは生地や仕立て方や着方に意味があるということを室内で説明を受けながら学ぶ方がいいのではないだろうか。全員が実際に着てみることができなくても。木綿とか絹とか麻とかの生地を手に取って見てみるとかね・・・。

八坂神社。この部分にはあまり人がいなかったがちょっと離れた所は人ごみ状態。
八坂神社を抜けると大通りに出て「京阪四条」というところに出た。そこには京阪線の地下駅の入り口があった。さてここからどうする?と私はじっくり考えなくてはならなかった。私はそのあと松尾大社の方に向かいたいと思っていたのだが、地下鉄の一日券を買ってしまったのでこの先もできるだけ地下鉄で行きたかった。しかし京都市内の地下鉄は烏丸線と東西線だけだった。その場所から一番近い地下鉄の駅は平安神宮に行く前に降りた東西線の「三条京阪」駅だった。そこまで戻るか?遠いというほどではない。700mくらいだ。私にとってはちょっと面倒くさいというだけだ。それとも地下鉄だけに拘らず他の電車も使った方が効率的だろうか?どちらがいいのかよくわからなかった。それで私はその「京阪四条」の駅の入り口から中に降りてみた。そして中に掲示してある路線図を眺めてみた。しかし全くわからない、というよりどう考えてもここからの電車にどのように乗ったとしても松尾大社方面には行けそうにない。歩いて「三条京阪」に向かうしかなさそうだなと思い、私はまた地上に戻った。「三条京阪」から東西線に乗って西に向かえば確かに松尾大社に近づく。しかしこの東西線って二条で終わりじゃん?その先をどうしろっていうのよ?と私は思っていた。私は実はかなり古いガイドブックを参考に計画を立てていて、その本についていた地下鉄の路線図をそのまま信じていた。しかし行ってみると今の東西線は「太秦天神川」というところまで延伸していた。オー、良かった!これなら何とかなるかも、と思った。ところで「京阪四条」から「三条京阪」まで歩いた道も遊歩道と言ってもいい感じでなかなか悪くなかった。
「太秦天神川」の駅に着くと出口付近に周辺地図があったので五分くらいそれとにらめっこをしながら考えたのち、ものすごく古めかしい路面電車の駅を見つけたのでそこから乗ってみた。嵐山鉄道の「嵐電天神川」駅であった。小さい車両だったせいもあるが、ぎゅうぎゅうに混んでいた。切符を買う場所が見つからなかったので乗ってからそばにいる人に聞いたら「後でお金を払う」というようなことを言われた。そしてそこそこの時間を乗った末にあずき色の電車は「嵐山」に着いた。そこが終点で、降りたら駅員さんが一人降車口近くに待機していて、降車した客たちはそこで切符か現金250円を渡すようになっていた。定期券の人もいるようだった。
私はもともとは嵐山に来るという予定をたててはいなかった。しかし成り行きでもろにかの有名な嵐山という地に来てしまった。駅から一歩外にでると夥しい観光客であふれかえっていた。げんなりしたが風景はなかなか悪くはなかった。「嵐山」とか「渡月橋」は写真で見るもの、という感じでわざわざ行ってみようと思ったことはなかったし、ましてやその橋を渡ろうとか考えたこともなかったのだが、混雑の中、私はその橋を渡らざるを得なくなった。そこを渡ってしばらく公園のようなところを歩いて抜けて行くと「阪急嵐山」という駅に着けることがわかったのである。その日の京都は特定の場所には観光客が溢れ返っているのだが他のところはそうでもなくて、本当に地元の人しか歩いていないようなところも多くあるという感じだった。シーズンを外した平日だったからなのかもしれないが、ユーチューブ動画で見る観光客が押し合い圧し合いのような情景は一部の地点に限ってのものだったのかもしれない。
阪急嵐山駅の付近も電車内も人は疎らだった。その電車に一駅乗って私は松尾大社駅に着いた。ここの近くにあるらしい鈴虫寺(華厳寺)というところに私は来てみたかったのだ。しかし八坂神社のあたりで午後1時近かったのでそのころから私は少し焦っていた。時間が足りなくなりはしないかと。「京阪四条」で13:00ごろだった。そこから歩いて「三条京阪」から地下鉄に乗って嵐電、阪急と乗り継いで松尾大社に着いたのが14:00過ぎだった。そこから鈴虫寺まではすぐかな?と思ったがなにしろ膝の悪い老婆が杖をついてヨチヨチ歩いて、なのでゆっくりしていると不安である。だから松尾大社はその立派な鳥居を眺めるだけにして先に本命の鈴虫寺に向かう。途中スマホのナビで調べると1㎞ほどだったようだが私にはちょっとしんどい道のりだった。
しかし鈴虫寺まで500m弱になったころ、私は道端に京都駅行きのバスの停留所があるのに気が付いた。しかも一時間に三本もある!帰りは何としてもこれに乗らなきゃ!と思った。もともとはバスには乗らないつもりだったが一本で京都駅まで行けるならこれに乗るのが確実だろう。もと来たルートを引き返すのは時間がかかるだろうしそれで遅れてはたまらない。帰りの新幹線は16:16京都駅発である。例え乗り遅れたって帰れないということはないだろうが、予約席が無駄になることは避けたい。朝800円で買った地下鉄の一日券のモトが取れていない気がするが仕方がない。

ここを真っ直ぐ数百メートルで鈴虫寺。

鈴虫寺の手前にこのような庭園があった。

鈴虫寺の入り口。左側の石段を登ってみた。
そして私は一生懸命鈴虫寺まで往復してきた。とても美しい道だった。お寺に登る階段はとても急だったが紅葉の散り敷く非常に美しい石段だったので一生懸命に登った。そしてやっと登り終えると思ったところ、何やら山門の前に何人かの人々が順番待ちのように並んでいるのが見えた。そして「500円取られるんだってよ。」と誰かが言っている声が聞こえた。それで私はその先に進むのを諦めてそこから引き返すことにした。何が500円なのかはわからないが、これ以上の時間を費やすわけにはいかない。先ほどのバス停から14:47発の京都駅行きバスに乗っておかないと心配である。早めに京都駅に着いておけばお土産や乗車中に食べられるものを物色することもできる。11:00に茶そばを食べただけなので夕方早い時間にでも何かをちょっと食べておかないと帰宅するのは20:00ごろになるだろうからお腹がすいて辛いだろう。鈴虫寺からの戻り道は行く時よりも少しだけ短く感じられた。
しかしバス停に着いてからヤバいことに気が付いた。細かいお金、まだあったっけ?朝家を出る時にはそれなりに千円札だの百円玉だのをいくらか持っていたのだがここに来るまでにかなり使ってしまっていたのだった。京都駅にて地下鉄の一日券を800円で購入し、平安神宮近くの蕎麦屋で820円を消費し、八坂神社にてお賽銭を500円奮発し、嵐電で250円、阪急電鉄で170円を支払った。それだけだったのだが財布を確認すると残金が11円きりになっていた!あとは一万円札のみである。さっきまでバスに乗る予定はなかったので駅の自販機のあるところであらかじめ両替しておかなくては、とか全く考えていなかった。この近くには買い物ができそうな店もないしどうしよう・・・?阪急電鉄の松尾大社駅まで歩いて戻るか?いや、そのあとそこから電車に乗っても京都駅まで直通で行けるわけじゃなし、乗り継ぎがよくわからないので時間的に不安だ。後から考えればもしかしたらそちらの方が早かったかもしれないがそのときはまだ「バス一本」が一時間もかかるなんて思っていなかったので仕方がなかったのだ。それで私は「えーい、何とかなるだろう。終点まで乗るんだしもしかしたら特別に両替してもらえるかもしれない」と考えてそのままバスに乗ることにしてしまった。
こんな細い道、本当にバスが走っているのか?と思っていたがバスはちゃんと定時にやってきた。私が乗った時には車内はかなり空いていたがとちゅうからだんだん人が増えてきた。バスは私がさっき通った松尾大社も嵐山も通った。嵐山あたりからは外国人観光客が沢山乗ってきて車内はぎゅう詰めになった。その後もバスはいろいろなポイントを回りかなり長く走った。と言っても特に渋滞などがあったわけではなく信号待ちで止まることがよくあったというだけだが、いつまでも京都駅に着かないので私はだんだん心配になってきた。16:16発の新幹線に乗れるだろうか?と。
結局バスは丁度一時間後の15:47に京都駅に到着した。その一時間の間、私はどうなることかとドキドキしながら座っていた。京都駅に着いて社内の乗客が全員降車した後で私は運転手さんに料金支払いについての交渉を試みた。結果、一万円札の両替はどうしてもできないとのことだった。そして小銭はいくらあるのかと聞かれた。11円しかないと答えた。するとカードはないかと聞かれた。スイカしかない、と答えるとそれでよい、と言われた。私は京都でスイカが使えるのかどうかを知らなかった。使えるとわかっていたらちゃんとチャージしておいたのに、残念なことにその時そのスイカには70円ほどしか入っていなかった。朝大宮駅に着いた時にチャージをしておけばよかったのに魔が差したと言うべきか「帰りにチャージすればいいや」と思ってそのままにしてしまったのであった。朝のうちにチャージしてあれば何も問題はなかったのに!
それでどういうことになったのかというと、バス代は均一料金でたったの230円だったのだが(一時間も乗ったのに申し訳ないほど安い!)そのうち70円分だけをその時スイカで支払って残りの160円は次に乗る時に事情を話して余分に入れるようにして下さい、ということだった。「次、なんてあるかな?」と思ったがまさかそんなことは口に出せず、「わかりました。ありがとうございます。申し訳ありませんでした。」と言って私はバスを降りた。その様子をこれから乗車するのを待って並んでいる人たちに見物されていたのはちょっと恥ずかしかった。
そして京都駅に着いた私は新幹線乗り場に急いだ。大急ぎで乗り場近くのキヨスクでお土産品と駅弁を探した。お土産には抹茶味のラングドシャを二箱(うちの分と息子の家族の分)を買い、私の食事用にはちょっと奮発して手毬寿司の弁当を買った。いいお値段の割に小さいよな、と思ったが実際に食べてみるとなかなかボリュームがあって食べきれずに少し残して家に持ち帰ってから完食した。。


それにしても京都バスさんに対してはまことに申し訳ないことであった。スイカにチャージをしておけばよかったという後悔の後にもう一つ残念な発見があった。なんとバッグの中に百円玉が二つ零れ落ちていたのだ。スイカの70円とこれを合わせれば問題なく支払えたのに・・・。ともあれ未納の160円をいつか返しに行かなくちゃ。確かにそんなことをしなくても訴えられるわけではないだろうし別に問題はないのかもしれないがスルーしたまま一生を終えるのはどうも気分が悪い。来年くらいにもう一度京都に行って今度はバスで観光することにしよう。もう一度京都に行く機会を与えられたのだと自分に都合よく解釈しておくことにしよう。
【完】
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